Photo 2004: Kokura Aug 8th

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「あの日」の前日、小倉駅北口付近から馴染みのあるところを歩いた。それほど暑くはなかったが、やはり夏だ。潮の匂いが心地いい。住友金属小倉の製鉄所が見える。北九州といえば八幡製鉄所*1がよく知られているけれど、小倉にも高炉を備えた製鉄所がある。

ところで戦後の国会会議録に初めて公害という言葉があらわれるのは、臨時石炭鉱業管理法を議題とした衆議院鉱工業委員会(1947年10月27日)における、淵上房太郎議員(民主自由党)の小倉炭鉱に言及した部分だ。

もう一つの小倉炭坑は、新坑であるのかと思つておるのでありますが、これは聞くところによると、小倉炭坑は鑛區が二つにわかれておつて、眞中に遮斷した區域があつて、この區域は公害があるというので、小倉炭坑出願の場合においては許可されなかつた。他の人から出願して新たに許可になつた。しこうして現在まだ紛爭が解決できてないやに聞いておるが、この在來の小倉炭坑は、第二の三池とでも言われる非常に有望な炭坑だと言われております。星條旗紙あたりも、燃料不足に惱む日本のホープだというて、非常に驚異の眼をもつて見ておる有力な炭坑であるのでありますが、ただいま申しますように遮斷鑛區がありますために、掘進が不能になるおそれがあるのであります。

小倉炭鉱は1965年に閉山し、最近ではそれが存在したことも忘れられつつあるように思われる。小倉炭鉱も多くの鉱山と同様に、少なくとも戦前に2回の落盤事故で死者を出している。その一部は植民地朝鮮から、おそらく強制連行されてきた人々である*2。しかし現在、炭鉱の存在を物語るものは広寿山福聚寺にある小倉炭鉱殉職者慰霊塔くらいではないだろうか。炭鉱があったとされるところへ行っても普通の町並みがあるばかりで、今回は足を運んでいない*3

更地になっているところは、かつてNHKの放送会館だった。戦前の小倉陸軍造兵廠とは道路ひとつへだてたところにあったので、原爆投下目標のすぐ近くということになる。近くの公園では、長崎市から贈られた「原爆の火」が燃え続けているはずである。北九州放送局は区役所などがあった界隈にできた複合施設の中に入っている。

幼い頃から聞いていたはずの変電所の変圧器がうなる音が、絶対音感のない耳に少し高く感じた。

1945年8月9日、プルトニウム爆弾 Fat Man を積んだ B29 爆撃機は、小倉の上空を3回にわたって旋回し、目標を定めることができず長崎へ向かったと伝えられている。九州大学の研究者によると、あのとき原爆が投下されていれば今回歩いた道のりの大部分は完全消失区域になったはずだと推定されている*4

2004年8月8日撮影*5

By Katsunori Tanaka © 2005


*1 八幡製鉄所の敷地は隣接区の戸畑にもある。1978年より八幡地区の高炉は廃止され、高炉の運用は戸畑に集中している。
*2 林えいだい(監修・責任編集)『戦時外国人強制連行関係史料集 2』明石書店(1991).
*3 左の道端に雑草が写っている写真で、ややかすんで見える山に連なり、向かって右側の方面にあたる。足立山麓付近。
*4 朝日新聞西部本社社会部(編)『小倉に原爆が落ちた日──シミュレーション(モデル計測)』あらき書店(1983)
*5 Nikon FE2 + Nikkor 28mm F2.8 / Zoom Nikkor 80-200mm F4

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Last-modified: 2009-05-20 (水) 19:06:43 (3078d)