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前に書いた大学における学生のレポート・論文というエントリで,「プロの論文」とされているものを「論文ではない」という指摘をしたが,ではどんな論文が「プロの論文」といえるのか? ソフトウェア工学の分野におけるプロの論文を読んでみよう.

ここでとりあげる論文は,Craig Larman and Victor R. Basili, Iterative and Incremental Development: A Brief History, Computer, Vol. 36, No. 6, pp. 47-56, (June 2003) である.ここで pp. というのは p. の複数形で,複数ページにまたがる文献を特定するために用いられる記号である.卒業論文は単著が普通だが,この論文はソフトウェア開発の歴史に触れたもので,よく読まれている有益性の高いものであるからとりあげる(Agile Alliance のページから本文へのリンクがあるようだが,これを書いている時点で www2.umassd.edu へのアクセスができないため,図書館で読むか IEEE Computer Society のサイトで入手する必要がある).

論文やレポートは誰に読んでもらうのかを意識して書かなければならない.この論文が掲載された雑誌 Computer は IEEE Computer Society の会員はみな受け取るようになっているもので,広い範囲におよぶコンピュータの専門家が対象読者である.したがって,ある程度専門的ではあるがソフトウェア工学の専門家だけを対象として書かれているわけではなく,学術論文というより技術的な解説記事という性格が強い.

内容・構成は次のように,序論と時代別の本論,そして結論へと結びつくかたちとなっている.
(Introduction) — 何について論じるのかを明確にしている
PRE-1970
THE SEVENTIES
THE EIGHTIES
1990 TO THE PRESENT
(Conclusion) — 結論
References — 参考文献リスト

この論文では独自の視点でソフトウェア開発の歴史をとらえている.ソフトウェア開発の方法として反復型開発 (interactive and incremental development, IID) が単純にウォーターフォール開発に単純にとってかわるものではなく,実は初期のソフトウェア開発でとられていた方法であることを明らかにしている.そして,ウォーターフォール開発がアメリカ国防総省の標準化によって固定化され,それによって生じた行き詰まりを打開するために再び反復型開発が用いられるようになったというわけである.

10ページの論文において45の文献が参照されている.歴史的事実や論拠を明らかにするために必要なものが選びぬかれており,十分な調査にもとづくものであることがわかる.

なお,専門家が読むことを前提とした論文では参考文献リストに記す雑誌名を略記することがしばしばある.たとえば次のようなものである.対象読者が専門家でない場合にはこのように略記しないほうがよい.
Proceedings → Proc.
Journal of Systems and Software → J. Systems and Software
IBM Systems Journal → IBM Systems J.
Communications of the ACM → Comm. ACM
IEEE Transactions on Software Engineering → IEEE Trans. Software Eng.
ACM Software Engineering → ACM Software Eng.
IEEE Annals of the History of Computing → IEEE Ann. Hist. Comput.
情報処理学会論文誌 → 情処論
情報処理学会研究報告 → 情処技報
電子情報通信学会誌 → 信学誌
電子情報通信学会論文誌 → 信学論
電子情報通信学会技術研究報告 → 信学技報
電気学会誌 → 電学誌
電気学会論文誌 → 電学論

参考文献は多ければよいというものではなく,ましてや「こんなにたくさんの文献を読みました」と自慢するためのリストでもない.ただ,確かな議論を展開するために必要なものを使えばよいのである.ウィキペディアでも,論拠がはっきりしない記述に [要出典] のタグが付けられているのを見かけるが,それと同じことである.

最後に,英語で書いてあるから読めませんという声が聞こえそうなのだが,辞書があればそれほど難しい英語で書かれているわけではないので努力してほしい.ソフトウェア開発の現場でも,あることを調べようとしたときに英語の文献しか存在しないことは珍しくないのが実態である.

キーマンズネットSHOOTIの IT 単語帳 ARPAnet の項目について、ツッコミを入れておく。

まず、「各地に分散したUNIXコンピュータ同士をTCP/IPで相互接続する」という部分について。RFC 2235 日本語訳の年表、1969年のところを見ると、ARPANETの最初のノードが記されているが、ここに接続されているコンピュータのOSはいずれもUNIXではない。というかUNIXは A Brief History of Hackerdom に書かれているように1969年に一応完成したもので、ARPANETのはじまりには間に合っていない。また、ARPANETでTCP/IPが使われるようになったのは1983年1月1日からのことである。TCP/IPに関する研究の成果が最初に発表されたのは1974年のIEEE Transactions on Communications Systems 誌上の論文で、標準として選ばれたのは1982年。したがって、ここは「各地に分散したコンピュータ同士を相互接続する」と訂正したい。

それから、「当時主流だった中央集中型ではなく分散型を選んだのは、核攻撃を受けても全体が停止することの無いコンピュータシステムを作るためだったといわれている」という部分については、俗説であると指摘されている。喜多千草, モバイルコンピューティングの技術史──「パケット無線」をキーワードに, Mobile Society Review 未来心理, No. 7, 2006, pp. 45-46. [PDF] などを参照。

追記 (June 24, 2009)
森石峰一による森石流!“たとえ”でわかる最新ネットワーク用語集におけるARPAnetの項目について。

これにはARPAnet の歴史的背景についての別の見解という別記事項があり、「インターネットの前身は ARPAnet で、これはアメリカ国防総省高等研究計画局が、核戦争でも生き残る通信網の構築を目指して敷設したものだ。」という説明について「別の見解」(杉沼浩司, インターネットの前身、ARPANETは耐核戦争用ではなかった!, New Media, 2002年11月号)があることをとりあげている。私の意見はおそらく「別の見解」に近いのであるが、3つの論拠からこれに対する反論がなされている。

最初の論拠について。

ARPAnet はアメリカ国防総省高等研究計画局が中心となって開発された、国防上重要なコンピュータ・ネットワークであること。たとえば、ポール・バランが発表した「分散型通信システムについて」という論文は、発表当時、アメリカ軍により極秘扱いにされ、一般人は閲覧することができませんでした。このことからも、 ARPAnet の重要性が分かります。

ポール・バランの論文は極秘でもなんでもなく、ソ連側からも閲覧可能だった(しかしあまり関心をもたれなかった)とポール・バラン自身が述べている。
参考文献 ポール・バラン (インタビュー) 聞き手: 藤原洋, パケット・スイッチングの発明者 ポール・バラン氏に聞く, オープンネットワーク, Vol. 2, No. 2, 1997, pp. 49-54.

二つ目、「異なる見解」が Vint Cerf 本人から得た回答にもとづくものであることに対して、次のような議論。

国防上重要なものであればなおさら目的を明かさずに進める可能性があります。したがって、これは推測ですが、TCP/IP を開発した1人であるビント・サーフ博士(当時 UCLA の大学院生)でも、アメリカ国防総省高等研究計画局内の ARPAnet について決裁権を持っている人の目的は、伝えられていないのではないかということです。

「これは推測です」ということなので、論拠にはならないと思われる。あえていえば、ARPAの研究部門 Information Processing Techniques Office (IPTO) の責任者であった J. C. R. Licklider らに関する詳細な調査にもとづいた著作(インターネットの思想史、草土社、2003、これは京都大学の博士論文の前半部分がベースとなっている)のある喜多千草も、ARPANET が軍事目的のネットワークであったということについては「俗説」と、否定的である(前掲のPDF)。

三つ目、ARPANETに関する海外のウェブサイトに「核攻撃」という言葉がいくつか見られるというもの。杉沼浩司が「この説明は日本だけのもの」としていることを意識しているものであろう。

ARPAnet の記述内に、核攻撃という言葉を見ることができます。これは、アメリカ国内でも ARPAnet が耐核戦争用に開発されたコンピュータ・ネットワークであることが認められていることのひとつの表れでしょう。

英文でも ARPANET について、核攻撃や核戦争との研究の関連についての記述ならばいくらでもある。ペンシルヴァニア大学のPh.D.論文をもとにした単行本を紹介しておく。
Janet Abbate, Inventing the Internet, MIT Press, 2000. (邦訳) 大森義行, 吉田晴代 (共訳), インターネットをつくる──柔らかな技術の社会史, 北海道大学図書刊行会, 2002.
この本で、特に1章「白熱と冷戦: パケット交換の起源と意義」では冷戦下でのパケット交換に関する研究について述べられているが、ARPANET が核戦争に耐えるためのネットワークであったという記述はない。

以上のとおり、件の用語集にある記述は想像の域を出ないものと考えられる。

IEEE (電気電子学会)、正式には the Institute of Electrical and Electronics Engineers が毎月発行している The Institute という新聞がある。これは IEEE Spectrum という雑誌とともに IEEE 全会員に配布される。少し前まではタブロイド版だったと思うのだが、現在はタブロイドの半分より少し大きいくらいのサイズになっていて、コート紙にフルカラー印刷で、まるで雑誌のようである。しかし、紙を重ねて折ってあるだけなので雑誌ではなく新聞であろう。

The Institute June 2009The Institute の最新号 (Vol. 33, No. 2, June 2009) は、IEEE の創立125周年を記念する特集号のようになっている。

1面、Celebrating 125 years という大きな見出しが目を引き、Editor’s Note では、”Looking Back 125 Years”“Tracking Tech History” という二つの記事を紹介している。

“Looking Back 125 Years” (by Anna Bogdanowicz) は、IEEE の前身である the American Institute of Electrical Engineers (AIEE) と the Institute of Radio Engineers (IRE) というふたつの組織と、それが合併して IEEE が成立した過程について触れている。1884年5月13日に小さなグループとして発足した AIEE と、無線技術の発達にともなって成立した IRE の発展、そして双方の歴史的合併により、1963年この分野では世界最大の学会である IEEE が成立した経過が簡潔にまとめられている。

もうひとつの  “Tracking Tech History: A look at the evolution of three critical innovations” (by Michael J. Riezenman) は電気・電子関係の技術の歴史に関するより一般的な記事である。取り上げられている技術は携帯電話、薄型化が可能で集積回路に利用されるようになったプレーナ型トランジスタ、そしてインターネットである。

この新聞には見落としそうな記事も載っている。IEEE Conference on the History of  Technical Societies という、8月5日から7日までフィラデルフィアで開催される会合の案内である。

この会合は IEEE History Center が主催するものであるが、日本の関連学会、すなわち電子情報通信学会 (IEICE)電気学会 (IEEJ)計測自動制御学会 (SICE) もかかわっている。

The IEICE (The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers, Japan) is Banquet Underwriter. The IEEJ (The Institute of Electrical Engineers of Japan) and the SICE (The Society of Instrument and Communication Engineers, Japan) are Conference Supporters.

私はこの会合に出席する予定はない。