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泳ぐ宇宙飛行士のつづき.

ガガーリンについては,とてつもなくよく調べている人がいる.「地球は青かった」という言葉についてはとくに丹念に調べられている.

日本人宇宙飛行士による有名な言葉として,秋山豊寛による有名な言葉があげられるのではないだろうか.TBSという民間放送局の社内で選抜されて宇宙飛行士となり,ソユーズTM-11でミール宇宙ステーションへ移乗して宇宙滞在,先にドッキングしていたソユーズTM-10で帰還.地球へのテレビ中継が始まって第一声が,

これ,本番ですか?

である.ジャーナリストらしく考えられたユーモアともとれるが,本心だったのかもしれない.彼はTBSを退職して農業を営むようになったが,宇宙飛行士としての自覚をもったまま地上で活動を続けているようにみえる.

この際なので,秋山豊寛が日本人初の宇宙飛行士であるかどうかということについて見解が分かれているようなので整理しておく.秋山豊寛は日本人として最初に宇宙飛行をしたが,それは宇宙船の「乗客」としてであって宇宙飛行士としてではないという見解について.彼は星の街で正規の宇宙飛行士 (космонавт) として正規の訓練コースを修了して宇宙船に搭乗したので,日本人初の宇宙飛行士ということに間違いはない.それよりも前に,宇宙開発事業団(現在は組織統合されてJAXA)の毛利衛向井千秋土井隆雄がNASAの宇宙飛行士(あるいはミッションスペシャリスト)の有資格者になってスペースシャトルに搭乗する予定であったが,チャレンジャー号の爆発事故によりスペースシャトル計画自体が大幅に遅れ,結果として最初に宇宙飛行をした日本人宇宙飛行士は秋山豊寛ということでおしまい.

それから,ガガーリンは地球を見ていないという説があるらしい件.このような回答をした人がいるので,それを支持する.

この流言のきっかけは、2000年3月にNHKが日本国内に放送したアメリカ製作のドキュメンタリーです。… ボストークには光学窓があるのでガガーリンは地球の蒼さが見えたでしょう。(回答者:abyssinian)

この番組は見ていないが,たしかに窓はあって地球を視覚でとらえることができたはずである.ガガーリンが「神はいなかった」と言ったとか言わなかったとかいう話に興味はないのだが,アポロ15号で創世記の石 (Genesis Rock) と呼ばれる鉱物を採集してきたジェームズ・アーウィンはキリスト教の聖職者になった.

前のエントリでNHKのドラマふたつのスピカのキャストが若いと書いたが,ふりかえってみればガガーリンが宇宙を飛んだとき,彼は27歳.訓練機による墜落事故で死亡したのは34歳のときである.若い.

「無限のかなたへ」(日本語吹き替え:所ジョージ)という台詞で有名なトイ・ストーリーのバズ・ライトイヤーには,モデルとなる人物が存在する.月面に立った二人目の地球人,バズ・オルドリンである(写真提供:NASA).
Buzz Aldrin on the Moon

オルドリンのウェブサイトにあるFAQでは,

Did Buzz Aldrin inspire the Disney character Buzz Lightyear?

という問いに対して明確に “Yes” と答えている.ともあれ,バズ・オルドリンとバズ・ライトイヤーは良好な関係にあるらしい.

バズ・ライトイヤーは「飛んでいない,落ちているだけだ」とウッディに言われたりしているが,自分のことをスペースレンジャーの一員だと信じていた.しかし,自分がおもちゃであることを知って落ち込む.しかし,なかなかどうして活躍し,独立したテレビシリーズスペース・レンジャー バズ・ライトイヤーの主役をつとめたり,国際宇宙ステーションへの飛行を実現したりしている.

ところでバズ・オルドリンは,アポロ11号の月面着陸によって世界的な注目を集めたが,あわせてうつ病,アルコール依存症,離婚という苦労を味わうこととなった(Robert Epstein, Buzz Aldrin: Down to Earth, Psychology Today, 2001.).今はそうしたことを乗り越えて幸せなのではないかという気がする.

前述のチャレンジャー号 (STS-51-L) 爆発事故は,順調であるかのように見える打ち上げからこの動画のように突然の爆発で,宇宙飛行士7名全員死亡という衝撃的なものであった.この事故などをきっかけに,アメリカの大学工学系学部で Engineering Ethics の授業がおこなわれるようになった.また,大江健三郎にとっておそらく初めてのSF小説治療塔(岩波書店,1990,講談社文庫,2008)にもこの事故に関する描写がある.

ちょっとだけ,日本人宇宙飛行士について「それから」ではなく「それまで」を見ておこう.山崎直子「宇宙戦艦ヤマト」のアニメに影響を受け,大きくなったら 「先生」や「ディズニーランドのお姉さん」になりたいと思っていたらしいが,「きっかけはチャレンジャー号の事故」とも書かれている.星出彰彦は,「銀河鉄道999 」,「宇宙戦艦ヤマト」,「スタートレック」などを見て宇宙にあこがれていたという.古川聡小さいころは「ウルトラセブン」になりたいと本気で思っていた(注:「あこがれはウルトラマン」という見出しは誤りである)とまでいう.野口聡一は,宇宙を舞台にしたアニメなどは見ていたが,それだけではまだ宇宙飛行士になりたいと思っておらず,高校生の時にスペースシャトルの初飛行を見て「これからは普通の技術者でも宇宙で活躍できる」と考えたそうである.オタクだらけのようにも見えるが,子どもが普通見ていそうなものを見ているだけだと思う.

岩波映画の羽仁進監督の「不良少年」(1961年, 新東宝配給, 90分白黒作品)は、著名であるにもかかわらず目にする機会は少ない。私は、深夜に放送されたものなのか、ケーブルテレビによる放送なのかよく憶えていないが、テレビの前で釘づけになって観たことがある。ビデオ録画もしたはずだが、テープはどこにあるのか自分でも把握していない。そのうち出てくると思う。

いずれにしても、はじめからしまいまで観たのである。映像では冒頭に、この映画がフィクションであって内容については監督に責任があることと、撮影に協力した少年に対する謝意が文字で示される。少年が逮捕され、少年院で生活する様子が描かれている。結末を明かしたとたんにつまらなくなるようなことはないが、プロセスを通じて緊張させられる作品である。

実を言えば、私は岩波映画にあまりなじみがない。このエントリを書く際にちょっと調べて田原総一朗が岩波映画出身だと初めて知ったほどである。

それはさておき、この映画の音楽を武満徹が担当していることはおそらく重要であろう。劇中で用いられている歌は有名な「〇と△の歌」である。今日では小室等がギターを弾きながら歌い、また合唱でもよく歌われている。映画の中でこの歌はごく控えめに、少年院の静かなグラウンドを映したシーンにおいて、うっかりすれば聞き逃してしまいそうなアカペラで歌われている。小室等の歌い方もそれによく似ているように思う。

合唱では、ややメリハリの利いた歌い方がなされるようである。たとえば2008年の新居浜混声合唱団定期演奏会のように。

ところで武満徹とは誰かと訊ねられるかもしれないが、国際的に著名な作曲家である。フィクションながら現実の少年に取材したドキュメンタリー風の「不良少年」に対して、まったく空想的な世界を描いた安部公房原作、勅使河原宏監督1964年の作品「砂の女」(カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞)の音楽も武満徹が担当した(主演の岸田今日子は、羽仁進と同様に自由学園高等科卒業生である)。

武満徹は65歳の癌による死をもって、大江健三郎にさらなる小説執筆の決意をうながすことになった。

さて、どのように話を羽仁進に戻すか。いや、ここに述べてきたとおりであるから、本当は話を戻すことにはあまり意味がないとも思う。ただ、武満徹の音楽が大きな影響力を持っていたことには言及しておかないわけにはいかないと思われるのである。ただ、武満徹の作品の歌詞の最後の部分だけを示しておきたい。バラライカは三角だぜ!

工学部の学生だったころ、第三外国語としてロシア語を履修した。第二外国語はドイツ語で、初級程度は必修なのだが、第三外国語は完全な選択科目だった。

履修の動機は、図書館の書庫にあったキリル文字の雑誌が置かれた場所に立ったとき、文字さえ読むことができず、目の前にある膨大な情報にアクセスできないもどかしさを感じたからだった。

ロシア語を履修する学生は少なく、授業中に怠けることは不可能であった。担当は北九大の戸辺又方(とべ ゆうほう)教授で、教科書は先生自身による『1年生のロシア語 = Мы читаем и говорим по-русски』(白水社, 2000年)であった。履修した当時1年生ではなかったのだが、ロシア語を学ぶものとしては1年生である。出版年からみて私はこの教科書を使ってロシア語を学んだ最初の学生のひとりだと思われる。調べてみると、現在いくつもの大学のシラバスに教科書として指定されているようである。

最初の授業で印象に残っている言葉がある。「ソ連語という言語はありません」というものだった。当時はまだソビエト連邦が存在していたのだが、ソ連における公用語としてのロシア語であって、「ソ連語」という言語が存在するわけではないということである。たしかにそのとおりである。

文字を覚えるのに時間はかからなかった。ギリシャ文字との類似点が多いからである。ギリシャ語を習得していたわけではないが、数式を使うのにギリシャ文字を使うことが多いからである。大学院入試でドイツ語の問題に白紙回答をしたという益川敏英教授も、さすがに数式の中でギリシャ文字は使うであろう。

名詞の性や格変化はドイツ語である程度経験したことに改めて取り組むといった印象があった。苦労はしたが、むしろ楽しかった。

さて、習いたてのロシア語に関する知識を何に使ったか。最初はロシア語からの翻訳を楽に読めるようになったということである。トルストイやドストエフスキーのようなロシアの文豪の作品をかじろうとして、人名に翻弄されて挫折した高校生や大学生は多いのではないだろうか。ロシアではひとりの人物にファーストネーム、愛称、敬称とさまざまな呼び名があって場面により使い分けられるし、同じ家族でも男性と女性で語尾が異なる(固有名詞にも性がある)のだが、それがわかっていないとストーリーについていけない。

ロシア語をひととおり学んで最初に読んだのが、ワロンツォーワ著, 三橋重男訳『コワレフスカヤの生涯-孤独な愛に生きる女流数学者』(東京図書, 1975年)だった。ちょうど科学史や技術史に強い関心を抱くようになっていたころのことだった。

そしてソ連は崩壊した。勉強のためにモスクワで発行されている週刊誌を年間購読していたのだが、発行が一時的に止まって届かなくなった。購読料は前払いだったので少しやきもきしたが、やがて発行は再開された。雑誌そのものは廃棄してしまったが、ソ連崩壊を境に紙質が劣悪なものになったような記憶がある。

Солярис数年たって、アメリカからVHSのビデオをインターネットで購入するようになった。英語字幕のついたタルコフスキー監督の映画を何本も買い込んだ。そんなときに大江健三郎の小説『静かな生活』(講談社, 1990年)とめぐりあった。この中にタルコフスキーの「ストーカー (Сталкер)」をとりあげた章がある(念のために書いておくと、邦題は原作をそのままカタカナにした「ストーカー」であり、映画の中ではロシア語的に「スタルケル」と呼ばれているが、他人につきまとうストーカーとはまったく関係がない)。大江健三郎自身がモデルになっていると思われる、主人公の父親が、キリル文字で「Сталкер」と書いてみせる描写がある。大江健三郎はドストエフスキーを読むためにロシア語を学んだのだろうかと思った。この小説は伊丹十三監督によって映画化されているが、劇中劇を避けたためであろうか、この章は映像になっていない。

タルコフスキー監督の「惑星ソラリス (Солярис)」はアメリカで発売されたVHSのテープを持っていたが、ロシアでDVDが発売されるとすぐに取り寄せた。タルコフスキーも、原作者であるスタニスワフ・レムもこの映画はなかったことにしたいほどの作品だったようだが、少なくとも私は気に入っている。スティーブン・ソダーバーグ監督、ジョージ・クルーニー主演でリメイクされた「ソラリス」よりも見ごたえがあると思う。このDVDには多言語の字幕が付いているが、日本語字幕は過去のものと訳が少し異なっており、たとえば主人公クリスの親友ギバリャンは「物理学者」とされていたものが「生理学者」に訂正されていたりする。

それにしても、QWERTYと似ても似つかないロシア語のキーボード配列にはいまだに慣れておらず、たどたどしくタイピングしている。キートップに貼るシールも市販されているが、夏の暑さでべとべとになって、キーボードに触れること自体がひどく不快になるという経験をしてから、わからないときには横に置いた配列図を見てタイプするようにしている。