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ドイツの古書店からレクラム文庫1冊と小さな本をもう1冊取り寄せた.

Frau Katsunori Tanaka

宛名が Frau Katsunori Tanaka になっている!

英語にすれば Ms. Katsunori Tanaka ということになる.むかしは既婚女性に対して Frau,独身女性に対して Fräulein が使われていたけれど,現在のドイツでは女性に対して全般的に Frau を付けるのが普通である(スイスとかオーストリアとかリヒテンシュタインなど,ドイツ以外のドイツ語圏についてはよく知らない).男性に対してはむかしから Herr (英語の Mr. に相当)である.

フランス語では既婚女性に madame,独身女性に mademoiselle と今でも使い分けているようだが,結婚しているかどうかわからない場合はどうするのかずいぶん前から疑問に思っていた.ラジオのフランス語講座を少し聞いて謎は解けた.あらかじめコソッと聞いておくという単純なことだった.

郵便は届いたからいいのだが,日本人の名前というのは名前から性別が判断しにくいのだろうか.

最近,アメリカの人から届いた手紙の書き出しは,Dear Katsunori san だった.日本の事情をわかっている人なら,名前の後に san とか,少しかしこまって sama を付けていて,違和感はない.

欧米人でも名前から性別がわからないことはある.ずいぶん前にあるソフトウェアのメーリングリストで,開発者である Jamie は男性なの?女性なの?ということが話題になった(そういえばオーストラリア人は欧米人?).本人が出てきて I’m a guy. の一言で決着.Jamie というと私はバイオニック・ジェミー(英: The Bionic Woman,独: Die Sieben-Millionen-Dollar-Frau)を連想してしまう.ドイツ語の番組名は直訳すると「700万ドルの女」になる.この番組自体600万ドルの男(英: The Six Million Dollar Man,独: Sechs-Millionen-Dollar-Mann)の続編なのだが,Steve より Jamie のほうがバイオニック手術に費用がかかっているという設定なのか.

スティーヴン・ダルドリー監督の愛を読むひと(原題 The Reader,小説の原題と映画のドイツ語版タイトルはDie Vorleser)が劇場公開されている.原作の小説も映画も未見なので,予告編でわかること以上のことは書けない.単純な恋愛映画ではなく,深刻な過去と向き合わなければならない人間を描いているようである.

ドイツの過去といえば,ナチス政権下の「国家反逆罪」 名誉回復へ新法 来月成立 左翼党、与党動かす(2009年7月4日)というニュース.国内ではほかに同様の記事が見つからなかった.

ナチス政権のもとで行われた裁判で,ヒトラー暗殺計画に加担したことによって有罪とされた人の中にディートリッヒ・ボンヘッファーがいた.1945年4月9日,ドイツ降伏の直前に処刑された神学者・牧師である.彼が直接の「実行犯」になるはずではなく,対外的な連絡活動などを担当したのであるが,組織の一員であったことは事実である.聖職者が暗殺というのは考えにくいことであるが,彼の倫理観では限界状況のもとで自ら罪を負ってでもヒトラーの独裁を放置することはできないのであった.

ボンヘッファーの名誉が回復されていない,つまり判決は現在でも有効であるという話は何年か前に聞いたことがある.これでようやく名誉回復となるのであろうか.

追記(2009年7月7日)
海外での報道記事.

APによって配信された記事,たとえば
Germany to overturn Nazi treason convictions
(1 Jan 2009) には,

In 1996, for example, Berlin justice officials formally exonerated the Rev. Dietrich Bonhoeffer, who was hanged in Bavaria in April 1945 for his role in plotting the attempted assassination of Hitler. The ruling also covered other resistance figures, including Adm. Wilhelm Canaris, who was sentenced and hanged with Bonhoeffer.

と書かれている.しかし,「本当か?」という気がする.

たしかに,After 50 Years, German Court Exonerates Anti-Hitler Pastor (16 Aug 1996) という記事はあるのだが,これが事実として a Berlin court とはベルリンのどの裁判所を指すのかはっきりせず,同じことを報じたドイツ語による記事が見あたらない.また,仮にこの記事に書かれていることが事実としても,ボンヘッファーの名誉回復がいまだなされておらず,その議論のために日本ボンヘッファー研究会がドイツからの訪問者とを迎えたいう話を聞いたのは2000年代に入ってからのことである.

ドイツ発の記事.Endlich fällt das ‘letzte Tabu’ bei der Aufarbeitung der NS-Geschichte (2 Jul 2009) はこの件に関する政党間の関係を,当事者である左翼党の立場で論じている.

もうひとつ,Will Germany Finally Rehabilitate Nazi-Era ‘Traitors’? (28 Jan 2009) は「ワルキューレ」に言及している.ボンヘッファーも「ワルキューレ」の関係者だったのである.

追記(2009年7月8日)
少しよく調べて,1996年のボンヘッファー名誉回復に関するドイツ語の報道記事を見つけた.Dietrich Bonhoeffer ist rehabilitiert (7 Aug 1996) によると,ベルリン地方裁判所による1945年の判決撤回という内容.

もうひとつ,Preußische Nachhilfe für Bayerns Justiz (8 Aug 1996) には次のような記述がある.

Das Urteil sei bereits durch das bayerische Gesetz Nr. 21 vom Mai 1946 aufgehoben gewesen.

すなわち,1945年の判決はバイエルンの裁判所(1946年5月の21号判決)ですでに取り消されているとも書かれている.

これ以上は公文書を調べないとわからないように思えてきた.

国立天文台編『理科年表』の「楽音の基本周波数」の記述内容が、2009年版(第82冊, 丸善, 2009, 物76.)で大幅に変わっている。

「国際標準イ = a1 = 440 Hz に基づく十二平均律の音階」という a1 = 440 Hz とされている表に、次のような注釈。

1939年5月ロンドンにおける国際会議で、イ(1点) = a1 とする十二平均率が規定され、独唱、合唱、管弦楽などすべての音楽演奏でこの値を用いるように申し合わせがなされた。しかし現在、音楽関係では主として a1 = 442Hz が用いられている。

2007年版の理科年表(第80冊, 2007, 物76)では同じ表に次のような注釈がついていた。表との関係から、a1 = 440 Hz を意味している。

1939年5月ロンドンにおける国際会議で、イ(1点) = a1 とする十二平均率を規定し、独唱、合唱、管弦楽などすべての音楽演奏でこの値を厳守すべきことが定められた。現在、音楽関係では主としてこの値が用いられている。

これは大違いのような気がする。音楽界に何が起きたのか? それとも理科年表が実態とかけ離れていたのか?

このあたりの事情について、森太郎による説明日本音響学会のサイトにあった。

現代の楽器を用いる場合でも,440 Hz から幾分外れた周波数が使われることも多いのが現状です。日本のオーケストラの多くは 442 Hz を採用していることが多いようですし,海外のオーケストラの中には 445 Hz や 446 Hz を採用しているところがあります。446 Hz の場合,440 Hz より 26 セントも高い音です。その方が弦楽器の張りが強くなり,よく響くようになる,と主張する音楽家もいます。

そうとは知らなかった。たしかに、国際会議の決定なんかを厳守して演奏する必要はないであろう。

ところでこの1939年5月の国際会議というのは誰が主催して、どんな参加者がいたのか、少し気になる。当時のロンドンといえば第二次世界大戦の直前の状態である。

少しだけ調べてみると、このあたりのことに触れた資料が見つかった。Jonathan Tennenbaum, A Brief History of Musical Tuning, Reprinted from Fidelio Magazine, Vol. 1, No. 1, Winter 1991-92. 気になるパラグラフがある。

The first effort to institutionalize A=440 in fact was a conference organized by Joseph Goebbels in 1939, who had standardized A=440 as the official German pitch. Professor Robert Dussaut of the National Conservatory of Paris told the French press that: “By September 1938, the Accoustic Committee of Radio Berlin requested the British Standard Association to organize a congress in London to adopt internationally the German Radio tuning of 440 periods. This congress did in fact occur in London, a very short time before the war, in May-June 1939. No French composer was invited. The decision to raise the pitch was thus taken without consulting French musicians, and against their will.” The Anglo-Nazi agreement, given the outbreak of war, did not last, so that still A=440 did not stick as a standard pitch.

1939年の(ここには5月から6月と書かれている)会議が Joseph Goebbels によって実質的にオーガナイズされたというのは意外というより驚きである。ナチス時代のドイツ宣伝相ゲッベルスではないか。反対意見をもつフランスの作曲家は招待されなかったとも書かれている。しかし残念なことに、文献をひとつしか参照していないトンデモ論文を拾ってしまったのかもしれないという気にもなる。ただ、書かれていることは気にかかるので、時間があったら少し調べてみたい。ロンドンでの国際会議の記録をどこまで入手できるかにかかっているようにも思う。

Nena の歌詞と著作権というエントリで、音楽著作権の話題に触れた。

日本における音楽著作権の管理団体として日本音楽著作権協会 (JASRAC) がよく知られている。

作品データベース検索サービスを使って、アーティスト名「Nena」(前方一致)で検索してみると、107件の作品が該当するものとして出てきた。ざっと見たところバンド時代の作品ばかりのようである。アーティスト名「Kerner」で検索すると4件(ICH HANG AN DIR, LAND DER ELEFANTEN DAS, LASS MICH DEIN PIRAT SEIN, RETTE MICH — ここで LAND DER ELEFANTEN DAS と定冠詞 Das が後に付いているのは前方一致検索のためであろう。図書館のデータベースなどでも雑誌名の定冠詞は略して検索するようになっている場合がほとんどだと思う)。

ドイツにおける音楽著作権管理団体として GEMA がある。このオンラインデータベースは、JASRAC のものよりショボく、title での検索、work code with version での検索、ISWC での検索しかできない。致命的なことに、検索結果が多すぎるとどうしようもないことになる。たとえば title を DER ANFANG (私の最も好きなソロ作品のひとつ)として検索すると、

329 work(s) found, searching for: DER ANFANG
Caution: The quantity of results exceeds the limit!
Please specify your query more precisely!

という表示が出る。Please specify your query more precisely! と言われても specify できない検索システムなのでお手上げである。検索できない場合は別にするとして、title を OHNE LIEBE BIN ICH NICHTS としてみると、次のような情報が得られる。

title of version: OHNE LIEBE BIN ICH NICHTS
interested party CAE/IPI role
AUGUSTIN, ARNE 283.08.21.72 composer
CHRISTENSEN, PATRICK 258.03.30.82 composer
DILEO, PAUL T 405.49.97.43 composer
KERNER, NENA 052.25.97.84 composer
RAHY, NADER 262.88.57.31 composer
ROMAINE, VAN S 404.49.73.63 composer
KERNER, NENA 052.25.97.84 author
ARABELLA MUSIKVERLAG GMBH 041.34.16.21 original publisher
B 612 PUBLISHING GMBH 429.87.04.26 original publisher
HANSEATIC MUSIKVERLAG GMBH CO KG 406.51.25.89 original publisher
NENA MUSIKVERLAG GMBH 487.22.45.32 original publisher
UNIVERSAL MUSIC PUBLISHING GMBH 283.11.85.69 original publisher
artists
NENA,
further titles
OHNE LIEBE BIN ICH NICHTS:BERLIN VERSION
work information

work type:
vocal/instrumental: music and text
duration:
ISWC: T-802.184.701-9
instrumentation:
derivation of Work
version type: original work
arrangement of Music:
adaption of lyric:

権利関係が込み入っていることは、わかる。日本のファンサイトに歌詞を掲載する場合、Nena Kerner 個人が了承しても、利害関係者がたくさんいるので事は容易でないということであろうか。

GEMA は「YouTube、ドイツでも音楽著作権料をめぐって交渉決裂」という記事(japan.internet.com)にみられるように、YouTubeに対してペイ パービュー方式による契約を主張していたようである。

ところで、歌詞ナビというサイトに、99 Red Ballons99 Luftballons の英語版)の歌詞全文が載っているのを見つけた。コピペを防ぐためであろう、Adobe Flash が使われている。SNAIL RAMPによってカヴァーされたもののようである。

余談。
小室みつ子作詞、小室哲哉作曲の「Beyond the Time」はこのようになっている。

作品コード 081-2604-6 BEYOND THE TIME-メビウスの宇宙を越えて-
権利者 識別 信託状況 所属団体
小室 みつ子 作詞 全信託 JASRAC
小室 哲哉 識別 全信託 JASRAC
サンライズ音楽出版 株式会社 出版者 全信託 JASRAC
音楽出版ジュンアンドケイ 出版者 全信託 JASRAC
番号/区分 タイトル
正題 BEYOND THE TIME-メビウスの宇宙を越えて-

ビヨンド ザ タイム メビウスノ ソラオ コエテ

BIYONDO ZA TAIMU MEBIUSUNO SORAO KOETE

1 メビウスの宇宙を越えて

メビウスノ ソラオ コエテ

MEBIUSUNO SORAO KOETE

2 BEYOND THE TIME-メビウスの宇宙を越えて-

BEYOND THE TIME メビウスノ ソラオ コエテ

BEYOND THE TIME MEBIUSUNO SORAO KOETE

3 新機動戦士ガンダム逆襲のシャア編テーマ曲

シン キドウ センシ ガンダム ギャクシュウノ シャア ヘン テエマ キョク

SHIN KIDOU SENSHI GANDAMU GYAKUSHUUNO SHAA HEN TEE

4 BEYOND THE TIME-メビウスの宇宙を越えて-

ビヨンド ザ タイム メビウスノ ウチュウオ コエテ

BIYONDO ZA TAIMU MEBIUSUNO UCHUUO KOETE

「新機動戦士ガンダム逆襲のシャア編テーマ曲」というタイトルが付いているが、誤記であろう。「機動戦士ガンダム逆襲のシャア編テーマ曲」であって「新」は不要である(アムロとシャアのストーリーはこれで終わる)。

つい最近のことである。2009年5月18日に、ドイツのミュージシャンNenaのファンサイトNenas Feuerwerkが閉鎖された。

Nena - 31 Juli 2004 - Berlin

Nena (写真は2004年7月31日ベルリン GNU FDL)とは、1980年代に西ベルリンで活動を始めたバンドであり、ヴォーカリストの名前(フルネームでは Nena Kerner)でもある。バンドで発表した作品にはNENAと、大文字斜体で表記されていた。バンドは1987年に解散したが、Nena Kerner 自身は1989年以降ソロ活動を続け、現在はハンブルクを本拠としている。バンドの最盛期には世界ツアーがおこなわれ、何度か来日してコンサートを開いている。ソロ活動ではバンド時代の歌も歌うが、新作も多い。また、童謡のCDも発表しており、ドイツの子どもにもおそらく人気が高い。かつてのように世界的なヒットはないものの、ドイツ語圏では確固とした地位を築いている。また、2008年5月27日には、ハンブルクにNeue Schule Hamburgという学校を開いた。

Nenas Feuerwerk は日本で発表されていない Nena の詞を翻訳して公開されているという貴重なサイトであった。最近はごぶさたしているが、サイトの管理人ともメールのやり取りもあって、勉強させられることは多かった。

さて、サイト閉鎖の理由について次のような説明がなされている。

閉鎖の理由は著作権です。
訳詞については作者Nenaの承認を得ておりましたが、著作権法の関係上、掲載できないことが分かりました。
また、編曲して掲載する際にも事前に作者の承諾が必要です(著作権法27条)。Nenaが日本で活動していない以上、継続的に承諾を得ていくのは難しいと判断しました。

そこで著作権法を読んでおきたい。

第27条  著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。

本件でいう著作者とは、いうまでもなくNena Kerner である。翻訳する権利は Nena Kerner にあることになる。

Nenas Feuerwerk のサイトでは、Nena から承認を得て翻訳をしていたのであるから、翻訳そのものが著作権法に抵触するとは考えにくい。日本語に翻訳された歌詞の著作権はといえば、著作権によって次のように定められている。基本的には訳者が著作権を有し、複製や頒布の権利を有するはずである。

第28条  二次的著作物の原著作物の著作者は、当該二次的著作物の利用に関し、この款に規定する権利で当該二次的著作物の著作者が有するものと同一の種類の権利を専有する。

ここまでのところ、問題は特にないように思われる。あるいは、Nena が翻訳を認めなくなるとか、Nena 以外の人が作詞した作品が含まれているなどの事情があったのかもしれない。いずれにしても不思議であるし、貴重な資源が失われてもったいないのである。管理者ご本人に事情をお聞きしたいと思う。

また、日本の著作権法とともに、ドイツの著作権法も参照すべきではないかという気がするが、気がかりなのはあの翻訳が原文との対訳だったためではないだろうか。日本語訳だけを掲載することについて問題はないはずである。

いずれにしても、あのサイトを再開してほしいというのが私の希望である。

話は変わるが、Nena が歌ってもっともヒットした 99 Luftballons (邦題「ロックバルーンは99」)に関する日本語版ウィキペディアの記事には、歌詞の大要(当該記事では「内容」と表現されているが、歌詞に直接かかわる記述があるのは日本語版のみである)が掲載されている。この「内容」は、2009年5月20日 (水) 15:00時点における版と2009年5月20日 (水) 16:43時点における版のあいだでかなり変わっているが、オリジナルの歌詞を知っていれば、簡単に歌詞だとわかる程度のものである。

Wikipedia contributors. ロックバルーンは99. Wikipedia, ; 2009 5月 20, 16:43 UTC [cited 2009年6月7日]. Available from: http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%AF99&oldid=25988082.

むしろこちらのほうが問題が大きいように思われる。

追記 日本における Nena のファンのメーリングリストもある。今のところアクティビティは低いが、ドイツやアメリカのメーリングリストがspamで使い物にならなくなったのとは対照的に、現在も生きている。

羽仁五郎は無神論者でありながら、キリスト教式の結婚式を挙げている。うたがうひとは羽仁説子『妻のこころ』(岩波新書, 1979年)をみよ。たしかに現在の自由学園明日館で式を挙げているのがわかるであろう。同時に、無神論者である彼が聖書に親しんでいたということにも言及されている。

羽仁五郎は冷静に議論したい人物であるが、まずは東京学芸大学の鷲山恭彦学長が、かつて附属図書館長に就任した時の文章を読んでみたい。国立国会図書館法の前文に触れて書き出されているのだが、国立国会図書館の本館を訪ねるとわかるように、蔵書受渡カウンターの上に、日本語の「真理がわれらを自由にする」と、ギリシャ語の「Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ」が並んで刻まれおり、日本語文は国立国会図書館法前文の冒頭にある言葉である。

12年前、南西ドイツの町、スイスとの国境近くにあるフライブルク大学で4ヵ月の研究生活を送ったとき、図書館のベランダに出ると通りを隔てた大学の赤みがかった建物の壁に「DIE WAHRHEIT WIRD EUCH FREI MACHEN」(真理は汝等を自由にする)と刻んであるのを見つけた。ははん、ドイツ留学の経験をもつ羽仁さんはこれに触発されたのだな、と思った。(鷲山恭彦, 「真理は我らを結びつける」-図書館長の就任挨拶にかえて-, 東京学芸大学附属図書館報, Vol.28, No.1, 1999年6月.)

たしかにそうだったのであろう。そして、国立国会図書館のウェブサイトにおいても真理がわれらを自由にするというページを設けて、次のごとく自らの使命として述べている。

この言葉は、法案の起草に参画した羽仁議員がドイツ留学中に見た大学の銘文に由来し、その銘文は、新約聖書の「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース ヨハネによる福音書8:32)に由来するといわれています。

ここで真理という言葉のニュアンスが、聖書におけるものとはやや異なっていることに気をつけたい。日本国憲法のもとで設立された国立国会図書館は宗教との関係をもたないはずであるが、新約聖書における真理とはキリスト教的な意味を当然もっている。国立国会図書館法前文と新約聖書の言葉の上での違いは、真理によって自由になるのが「われら」であるのか「あなたたち(訳によっては「汝等」)」であるのかという点にすぎず、国会図書館内に刻まれたギリシャ語による表現では新約聖書原文との違いがまったくない

羽仁五郎がドイツに留学したのは1922年である。それに先んじて1921年には羽仁もと子・吉一夫妻によって自由学園は設立されていたし、羽仁五郎もそのことを知っていたように思われる(ちなみに、黒柳徹子の母校である自由ヶ丘学園、後のトモエ学園とは無関係である)。自由学園という校名の由来は、まさに議論しているヨハネによる福音書8:32にほかならない。羽仁五郎の留学前後における意識の変化はあったのか、あったとすればどのようなものだったのか。この点を追究することが一つの課題となるであろう。

さて、ドイツの大学において聖書のこの言葉がどのように解釈され、碑文に刻まれるようにまでなったのかということは、ドイツにおける学問の理念と密接な関係をもつことを意味するであろう。この碑文がいつ、どのようにして刻まれたのかを調べる必要があるうえ、神学的にきちんとした議論をここで展開することは私には難しいが、宗教と学問との関係を無視することは科学社会学的な観点からできない(たとえばマートンのテーゼ)。ひとまず、手元にある新共同訳の聖書で、この言葉の前後を引用しておこう。

ヨハネによる福音書 8章

31イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。32あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」33すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今まで誰かの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」34イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。35奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかなが、子はいつまでもいる。36だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。37あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。38わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」(新共同訳聖書, 日本聖書協会, 1987, 1988年)

この後、19章でイエスはついに十字架にかけられて処刑される。そこへいたるまでのイエスの言行が記されているが、この部分を読むだけでも平穏な状況とは考えられないものである。

ところで、そのフライブルク大学のウェブサイトで、このような文書を見つけた。もう一つの課題を解決するための資料になりそうな文書である。

Gerhard Kiser, Die Wahrheit wird euch frei machen: Die Freiburger Universitätsdevise – ein Glaubenswort als Provokation der Wissenschaft

いずれにしても、この時代のドイツにおいて、キリスト教を信仰することと科学の研究が矛盾するものではなく、神が創造した世界を探求する、ということに意義を見出すことに不自然さはなかったといえよう。

羽仁五郎に話を戻すと、彼は留学中にドイツ共産党の機関紙Die Rote Fahneを購読していたことを自著で明らかにしているが、1931年にロンドンで開催された第二回国際科学史学会における Болис М. Гессен の講演(秋間実、稲葉守、小林武信、渋谷一夫訳『ニュートン力学の形成 「プリンキピア」の社会的経済的根源』法政大学出版局, 1986年)のはるか前、1924年に日本へ帰ってきた。そして1926年、前述の『妻のこころ』冒頭で描かれている結婚式を挙げたのである。羽仁五郎の思想について研究の余地は十分にあるが、彼の唯物論(あるいはマルクス主義)とキリスト教に対する考え方は、微妙なバランスを保ちつづけたのではないだろうか。

以上、日本で初めて大学における技術史教育に取り組んだ東工大の山崎俊雄名誉教授(故人)の蔵書の中に、『中井正一全集』全4巻, 美術出版社, 1964-1981年というものがあるのに気づいて考えをめぐらせた次第。中井正一は国立国会図書館の初代副館長をつとめた美学者である。