Archive for June, 2009

何度か名前を出した羽仁五郎は、羽仁進『自由学園物語』(講談社, 1984年)に書かれているように、現在は東久留米市にある学園町で戦前からしばらくのあいだ過ごした。羽仁の自宅に集まった研究者の中には、原稿を暖炉で焼いてしまえと言われた者もいれば、ジーメンスの電気ストーブが赤外線を放っているのに、寒くてたまらないと言っていた者もいる。最寄駅は現在のひばりが丘駅(1959年4月30日までは田無町駅)である。

羽仁五郎・羽仁進『父が息子に語る歴史講談』(文芸春秋, 1987年)の中で、羽仁進が羽仁五郎に武谷三男がロシア人女性と一緒にいるのを見たと言い、羽仁五郎が知らないの一言ですませる場面があった。ロシア人女性とは、武谷ピニロピのことであろう。武谷三男は、同じ沿線の石神井公園駅の近くに住んでいた。1953年から1969年まで立教大学教授をつとめたが、所属機関のない時期も長く、論文を投稿する際に、所属機関を「トウキョウ、ネリマ」にしたと自嘲的に語ったこともある。

さて、ある物理学者という人物のブログ広重徹の武谷批判というエントリには、次のように書かれている。

広重徹の「科学と歴史」(みすず書房)の中の「科学史の方法」のところを読んでいる。この中で広重徹は武谷三段階論を科学の研究の歴史に基づいたものではなく自然の論理としても科学の歴史としても間違っているといっている。間違っているという言い方はちょっと言い過ぎかもしれないが、武谷三段階論はどうも歴史に即したものではなく、また三つの段階の間の移行の契機がはっきりしないというようなことらしい。
これはまだ印象の段階なのだが、もっときちんと広重の言っていることをつかむようにしなければならないだろう。昔、広重の武谷批判を読んだときにそれなりに納得した気になったものだったが、だが広重は新しいアイディアを出してはいないと思った。

この件に関しては、次のような文献を読んでおくとよいであろう。

  • 植松英穂, 歴史の小経-一人歩きした武谷三段階論-, 日本物理学会誌, 58, 11, 834-836, 2003.
  • 安孫子誠也, 広重徹による武谷三段階論批判, 物理学史ノート, 11, 109-125, 2008.

たしかに武谷三男は日本科学史学会の会員であったこともあるが、現在の日本科学史学会には武谷三段階論を科学史の方法ととらえている会員はほとんどいないであろう。ついでに、些細な点かもしれないが、ひとつ気になったことがある。

科学史をやっていない普通の物理学者には伏見さんにしても南部さんにしても武谷三段階論を方法論というか世界観としてはそれなりに評価していると思う。それは考え方であって、かならずしも科学史の成果とは捉えていないと思う。

伏見さんというのは伏見康治(故人)のことであろうか。伏見康治は科学史に関心が深く、1995年、日本科学史学会の名誉会員に選出されている。

まとめると、武谷三段階論は、物理学の研究者にとってひとつの指針となるものであったが、すべての物理学者が武谷三段階論に依拠して研究活動をしてきたわけではない。また、武谷三段階論は、科学史の方法論とするような性格のものでもなかったのである。

武谷三男については、技術論論争が知られている。これについてはいずれ述べることにしたい。

6月11日、新型インフルエンザA (H1N1) に関して、WHO が警戒レベルをフェーズ5からフェーズ6に引き上げるとの発表をおこなった。

WHO の事務局長 Dr. Margaret Chan は、パンデミックの状況について、

The world is now at the start of the 2009 influenza pandemic.
We are in the earliest days of the pandemic. The virus is spreading under a close and careful watch.
No previous pandemic has been detected so early or watched so closely, in real-time, right at the very beginning. The world can now reap the benefits of investments, over the last five years, in pandemic preparedness.

と、現在はパンデミックの初期段階にあることを述べた。また、

A characteristic feature of pandemics is their rapid spread to all parts of the world. In the previous century, this spread has typically taken around 6 to 9 months, even during times when most international travel was by ship or rail.

としながらも、

WHO continues to recommend no restrictions on travel and no border closures.

と、過剰な反応には否定的な見解を示している。

国立感染症研究所感染症情報センターの新型インフルエンザ情報(2009年6月12日 9時 更新)によると、厚生労働省が確認した国内の報告数は508で死亡0、WHOによる世界の報告数は27,737(台湾24例含む)で死亡141となっている。

マスクを品切れにしているという貼り紙を出している薬局が多い。

遅くなってしまったが誕生日のお祝いである。ひし美ゆり子『セブンセブンセブン わたしの恋人ウルトラセブン』

6月10日は女優、ひし美ゆり子(かつては菱見百合子)さんの誕生日である。円谷プロダクション作品、「ウルトラセブン」ウルトラ警備隊・友里アンヌ隊員の役で私の心は奪われた。設定では20歳の医師、地球防衛軍のメディカルセンター勤務、ウルトラ警備隊隊員。20歳で医師というのは現在の制度ではあり得ないが、未来社会の超エリート女性だからそれもアリなのである。制度が整っていない時代、森林太郎(鴎外)は現在の東大医学部を19歳で卒業したが、それは年齢詐称によるものであった。

「ウルトラセブン」が公開されたのは1967年のことであった。私は生れていたがあまりにも幼く、再放送で観た記憶しかない。

ずっと後になって直接お会いする機会があった。さすが本物の女優であり、雰囲気が違う。時はたっても、しぐさの端々に「アンヌ」の面影があらわれていた。

私が「ウルトラセブン」にはまっていたのは幼稚園時代のことであるが、大人になってから友人がレーザーディスクで全巻そろえて、つられて全部観てしまった。それから再燃した。もう、オタクと呼ばれようと何と呼ばれようとかまわなくなった。

川崎市にあるザ・グリソムギャングというシネマバーで記念上映会が開かれたらしいが、残念ながらその場へは行けなかった。

ともあれ、これからも元気で活躍されることを願いつつ、お祝いを申し上げたい。

ここに、小室等のCDシングルがある。
ベラルーシの少女/雨のベラルーシ
作詞・作曲:小室等、訳詞:ニコライ・ドミトリエフ 山崎瞳、補訳詞:ORIGA(1996年にフォーライフよりリリース、頒布元は日本チェルノブイリ連帯基金)

JASRAC の作品データベースで調べると、

作品コード 027-8827-6 ベラルーシの少女(ロシア語訳詞)
権利者 識別 信託状況 所属団体
1 小室 等 作詞 全信託 JASRAC
2 ニコライ・ドミイトリエフ 訳詞 無信託
3 山崎 瞳 訳詞 無信託
4 小室 等 作曲 全信託 JASRAC
5 サンライズミュージック 出版者 全信託 JASRAC

ということで、補訳詞の ORIGA とはどこの誰さんなのかわからないままだが、この歌はもしかしてベラルーシ語で歌われているのではないかという長年の疑問は晴れてロシア語であることがはっきりした。

日本語の原詞はこのCDジャケット裏に印刷されているが、小室等はロシア語で歌っている。原詞に「五月のベラルーシ」というフレーズがたびたび出てくるのだが、なぜ五月なのだろうか。

このCDはチェルノブイリ原子力発電所4号炉の炉心溶融・爆発という大事故で被害を受けた子どものための寄付金込みで頒布された。事故が起きたのは1986年4月26日のことである。発電所はウクライナにあったが、ベラルーシやロシアなど近隣の地域は強い放射能によって汚染された。事態の収拾は容易ではなく、「五月のベラルーシ」というのは事故による被害の「急性期」を意味するのではないかと思う。

この事故の影響を受けてベラルーシからロシアに移住した夫婦がいた。Мария Юрьевна Шарапова (愛称 Маша)の両親であった。彼女が生まれたのは1987年4月19日、事故からおよそ1年がたったころのシベリアである(ベラルーシではなくロシア国籍なのはこのため)。最近の全仏オープンでは準々決勝敗退したが、その前の4月には国連開発計画を通じて彼女なりの貢献をする旨を発表している。

Nena の歌詞と著作権というエントリで、音楽著作権の話題に触れた。

日本における音楽著作権の管理団体として日本音楽著作権協会 (JASRAC) がよく知られている。

作品データベース検索サービスを使って、アーティスト名「Nena」(前方一致)で検索してみると、107件の作品が該当するものとして出てきた。ざっと見たところバンド時代の作品ばかりのようである。アーティスト名「Kerner」で検索すると4件(ICH HANG AN DIR, LAND DER ELEFANTEN DAS, LASS MICH DEIN PIRAT SEIN, RETTE MICH — ここで LAND DER ELEFANTEN DAS と定冠詞 Das が後に付いているのは前方一致検索のためであろう。図書館のデータベースなどでも雑誌名の定冠詞は略して検索するようになっている場合がほとんどだと思う)。

ドイツにおける音楽著作権管理団体として GEMA がある。このオンラインデータベースは、JASRAC のものよりショボく、title での検索、work code with version での検索、ISWC での検索しかできない。致命的なことに、検索結果が多すぎるとどうしようもないことになる。たとえば title を DER ANFANG (私の最も好きなソロ作品のひとつ)として検索すると、

329 work(s) found, searching for: DER ANFANG
Caution: The quantity of results exceeds the limit!
Please specify your query more precisely!

という表示が出る。Please specify your query more precisely! と言われても specify できない検索システムなのでお手上げである。検索できない場合は別にするとして、title を OHNE LIEBE BIN ICH NICHTS としてみると、次のような情報が得られる。

title of version: OHNE LIEBE BIN ICH NICHTS
interested party CAE/IPI role
AUGUSTIN, ARNE 283.08.21.72 composer
CHRISTENSEN, PATRICK 258.03.30.82 composer
DILEO, PAUL T 405.49.97.43 composer
KERNER, NENA 052.25.97.84 composer
RAHY, NADER 262.88.57.31 composer
ROMAINE, VAN S 404.49.73.63 composer
KERNER, NENA 052.25.97.84 author
ARABELLA MUSIKVERLAG GMBH 041.34.16.21 original publisher
B 612 PUBLISHING GMBH 429.87.04.26 original publisher
HANSEATIC MUSIKVERLAG GMBH CO KG 406.51.25.89 original publisher
NENA MUSIKVERLAG GMBH 487.22.45.32 original publisher
UNIVERSAL MUSIC PUBLISHING GMBH 283.11.85.69 original publisher
artists
NENA,
further titles
OHNE LIEBE BIN ICH NICHTS:BERLIN VERSION
work information

work type:
vocal/instrumental: music and text
duration:
ISWC: T-802.184.701-9
instrumentation:
derivation of Work
version type: original work
arrangement of Music:
adaption of lyric:

権利関係が込み入っていることは、わかる。日本のファンサイトに歌詞を掲載する場合、Nena Kerner 個人が了承しても、利害関係者がたくさんいるので事は容易でないということであろうか。

GEMA は「YouTube、ドイツでも音楽著作権料をめぐって交渉決裂」という記事(japan.internet.com)にみられるように、YouTubeに対してペイ パービュー方式による契約を主張していたようである。

ところで、歌詞ナビというサイトに、99 Red Ballons99 Luftballons の英語版)の歌詞全文が載っているのを見つけた。コピペを防ぐためであろう、Adobe Flash が使われている。SNAIL RAMPによってカヴァーされたもののようである。

余談。
小室みつ子作詞、小室哲哉作曲の「Beyond the Time」はこのようになっている。

作品コード 081-2604-6 BEYOND THE TIME-メビウスの宇宙を越えて-
権利者 識別 信託状況 所属団体
小室 みつ子 作詞 全信託 JASRAC
小室 哲哉 識別 全信託 JASRAC
サンライズ音楽出版 株式会社 出版者 全信託 JASRAC
音楽出版ジュンアンドケイ 出版者 全信託 JASRAC
番号/区分 タイトル
正題 BEYOND THE TIME-メビウスの宇宙を越えて-

ビヨンド ザ タイム メビウスノ ソラオ コエテ

BIYONDO ZA TAIMU MEBIUSUNO SORAO KOETE

1 メビウスの宇宙を越えて

メビウスノ ソラオ コエテ

MEBIUSUNO SORAO KOETE

2 BEYOND THE TIME-メビウスの宇宙を越えて-

BEYOND THE TIME メビウスノ ソラオ コエテ

BEYOND THE TIME MEBIUSUNO SORAO KOETE

3 新機動戦士ガンダム逆襲のシャア編テーマ曲

シン キドウ センシ ガンダム ギャクシュウノ シャア ヘン テエマ キョク

SHIN KIDOU SENSHI GANDAMU GYAKUSHUUNO SHAA HEN TEE

4 BEYOND THE TIME-メビウスの宇宙を越えて-

ビヨンド ザ タイム メビウスノ ウチュウオ コエテ

BIYONDO ZA TAIMU MEBIUSUNO UCHUUO KOETE

「新機動戦士ガンダム逆襲のシャア編テーマ曲」というタイトルが付いているが、誤記であろう。「機動戦士ガンダム逆襲のシャア編テーマ曲」であって「新」は不要である(アムロとシャアのストーリーはこれで終わる)。

前の同郷の著名人というエントリは、実はここへの伏線だった。

日付は変わったが、六本木の映画館で「おっぱいバレー」を観てきた。上映館が少なくなっているので、足を運ぶなら今のうちだと思い、六本木へ出かけたというわけである。原作の小説は読んでいない。

余談であるが、ロケ地の北九州にある小倉コロナワールドではさすがに7月まで上映されている。昨年の夏に弟と甥とともに「インディ・ジョーンズ」を観てきたのだが、上映室が10もある大規模さに驚いた。JR貨物の浜小倉駅跡地に建てられている。

予備知識として知っていたのは、以下のようなことである。

  1. 実話がもとになっているらしい。
  2. 時代設定は1979年、舞台は福岡県北九州市あたりらしい。
  3. 主役とされる女性教師、寺嶋美香子は当時23歳で、主演の綾瀬はるかと同年齢らしい。
  4. 若い女性に人気がある感動作らしい。

私としては 2. が気になっていた。世代的・地域的な当事者であったともいえるからである。バレーボール部員になったことはなかったし、女性の教員が顧問をつとめる部活動にかかわったこともないが、まさに同時代である。

映画館では定員52席のうち、客席の埋まり具合は半分に少し足りない程度。男女比は女性が若干多いくらい。

ところで、2008年の北京オリンピック、バレーボールの試合を見ていて初めて知ったのは、現在のルールでは15点マッチではないということだった。デュースになってサーブ権が移動するばかりの延々と続く試合を避ける方向で、ルール改正が行われたようである。

さて、この映画のクレジットに「バレーボール監修」として大林素子の名前が出ている。妥当な選択と思われるが、個人的には、イタリアから中田久美に帰ってきてほしかったような気もする(個人的な趣味ではない、たぶん。中田は映画に登場するバレーボール部員とほぼ同じ年代の生まれだからであり、大林は少し年下の当時小学生だったのではないかと思われる)。時代として少し前の1977年、バレーボールとは無関係だがモントリオールオリンピックでルーマニアのナディア・コマネチが体操で奇跡的な10点を連発して「白い妖精」と呼ばれていた。体操はこの映画と無関係だが、顧問の先生のおっぱいを見たがるような中学生のことである、レオタード姿に関心を示さないはずはない。しかしこれ以上はネタバレになるので書かない。

映画の撮影にあたっては北九州フィルムコミッションの協力を受けていて、中学生のエキストラなどは市内の中学校から募られていたようである。

私が2004年に撮影した Photo 2004: Kokura Aug 8th の中で、工業地帯の写真のうち、ほぼ同じ煙突のある場所を標高の高いところから撮影されているというシーンが作中に何度かあった。筑豊電鉄は、西日本鉄道北九州線が廃止されたので、雰囲気を出せる路線として起用されたらしい。

試合で勝てば胸を見せるという約束をして部員を奮起させる、というのは教育者の行動としてはたしかに問題がある。しかし彼女には、努力をする経験をしてほしいという希望もあったわけである。この矛盾がどのような結末につながるのか、さすがにここでは書けないが、重要なところである。

それにしても、1979年当時23歳の教師が現在どうしているのか興味はある。お目にかかっておっぱいを拝見しなければならないかである(うそ)。しかし、教員を続けているのであれば定年にはなっていないはずである。

私の生まれは福岡県北九州市小倉区(現在の小倉北区)である。JR小倉駅から西に向かってバスで20分程度のところで育った。ものすごくいい加減な地図であるが、九州における位置関係はだいたいこんなところである。念のためにいえば、小倉は「おぐら」とは読まず、「こくら」と読む。
おおざっぱな九州の地図

小倉出身の著名人として何人かあげておこう。個人としては、松本清張山本リンダ草刈正雄松本零士といったところだろうか。本当は東京出身だが、私と同じ小学校に在学していた土井隆雄宇宙飛行士もいる。架空の人物として「無法松」こと富島松五郎が知られている。法人として、ゼンリンTOTOはよく知られているであろう。

現在は福岡県北九州市であるが、廃藩置県直後において、小倉と門司は小倉県、八幡と戸畑と若松は福岡県に属した。当時の小倉県には、福澤諭吉の出身地である現在の大分県中津も含まれる。江戸時代の小倉は初代から三代まで細川氏が藩主であり、四代以降は小笠原氏である。幕末における長州征伐においては、関門海峡の向こうから長州を攻撃する江戸幕府の拠点となった。また明治から終戦までは陸軍の九州における重要拠点であり、森林太郎(鴎外)が小倉に赴任したり、(結局は長崎に投下された)原子爆弾の攻撃目標になったりもした。

小倉の周辺に目を向けると、日本近現代史においてよく知られているのは、八幡(「はちまん」とは読まない。かつては「やわた」と読まれていたこともあるようだが、現在の行政では「やはた」と読まれている。政治学者・政治家の舛添要一は福岡県立八幡=やはた=高等学校出身)で1901年創業の八幡製鉄所がある。同じ「鉄」でも、国鉄小倉工場(現在のJR九州小倉工場)、また架空の学校として映画「おっぱいバレー」の舞台となった戸畑第三中学校。この映画は実話をもとにしたストーリーだということだが、学校名は架空のものにするとしても本当に戸畑で起きた話なのかどうか不明であるし未見である。

福岡あるいは博多出身の人はあまりにも多いので省略する。上の地図に「大川市」とあるが、ここが「のだめカンタービレ」の野田恵(のだめ)の出身地である。アニメーションの第一シーズンは時折飛ばしてだいたい観たが、最終回で誰かさんが博多駅からタクシーで大川市へ向かうのは無謀である。博多駅の駅員に乗り継ぎの問い合わせをすればよかったのにと思う。

結論? そんなものはない。ただの自己紹介のようなものである。

別に宣伝するわけではないが、サントリーの金麦(いわゆる第三のビール)のCMの話。演じているのは壇れいである。

彼女自身がブログで告知していたように、2009年3月9日から放送された「丘の上から愛をこめて」篇(メイキング映像あり)では、手旗信号が使われている。手旗信号はおそらく初めての経験と思うが、上手である。

私としてはここで終わってしまうわけにはいかない。話を展開しよう。

手旗信号はヒトの体を動かすことによって文字を表現する、いわば簡素化された腕木通信である。腕木通信は人力で動かす装置であり、目視によって信号の伝達をおこなうものである。

手旗信号も、両手に持った手旗の動きで信号伝達をするという点では同じである。どのように信号伝達をするのかといえば、先に見た壇れいによる「ハルダゼ…」という文の送信を、手旗信号FLASH5というページで試してみて、前述のCMと比較すればよくわかるであろう。日本語の手旗信号は、基本的に受信側から見てカタカナの形に近い動作をするようになっている。

また、起信、応信などの信号はいわば制御信号で、簡単な通信規約(プロトコル)をそなえているともいえる。

腕木通信は手旗信号に比べると大がかりであるが、通信網すなわちネットワークを形成したというところが重要である。詳しいことは中野明による腕木通信って、ご存じですか?というページを読んでいただきたい。腕木通信は telegraph あるいは semaphore と呼ばれ、telegraph は後に電信を意味するようになった。また semaphore という言葉は、Edsger W. Dijkstra によってプログラミング用語となり、現在でも使われている(たとえば Perl には semctl、semget、semop というセマフォを扱う関数が実装されている)。

キャロル・リード監督、オーソン・ウェルズ主演の映画「第三の男(The Third Man)」は、戦後間もないヴィーンで、薄められた粗悪なペニシリンが出回るというところから話が始まる。チターというギターのような弦楽器による主題曲は、何年か前にビールのCMで使われていたように思う。

角田房子『碧素・日本ペニシリン物語』日本におけるペニシリン開発の歴史をまとめた著作がある。角田房子『碧素・日本ペニシリン物語』(新潮社, 1978年)である。

海外の動向(Manfred Kiese, Chemotherapie mit antibakteriellen Stoffen aus niederen Pilzen und Bakterien, Klinische Wochenschrift, 22 Jg., Nr. 32/33, 7 Aug. 1943. いわゆる「キーゼ総説」)に触発された日本は、政府主導のペニシリン委員会を組織し、陸軍軍医学校を中心に、民間企業(製薬会社に限らず、後に製薬に取り組むようになった食品メーカーなども含まれる)の協力も得てペニシリンの独自開発にこぎつけたが、良質のものを大量生産することができないうちに終戦を迎えた、というようなことが書かれている。

日本の戦時研究を遂行するためには、海外の研究動向をなんとかして知りたいという事情があった。実際どうであったのかを角田房子は当事者であった犬丸秀雄(当時文部省科学局・ベルリン駐在)に取材して真相を突き止めている。要約すれば次のとおりである。

  • 独ソ戦が始まるまで、日本とドイツの間はシベリア鉄道で結ばれており、学術雑誌の交換も可能だった。
  • 独ソ戦開戦にともない、日本とドイツの間で学術雑誌を含む物資の交換は、はじめ民間の船舶に偽装したドイツ海軍の輸送艦、そしてUボートと伊号潜水艦の大西洋・インド洋経由での往来があった。しかし潜水艦による輸送は危険で成功率は低かった。
  • 日本がドイツの学術雑誌を入手する手段としては、まずはベルリンの日本大使館から目録を郵送することから始まり、ベルリンからスイスの日本公使館を経由して雑誌そのものを郵送するようになった(速報事業)。

速報事業については私も少し触れてみたことがある。

田中克範, 日本におけるアスカニア式自動制御装置とヤンソン製作所, サジアトーレ, No. 35, 2005年.

自動制御装置とペニシリンになんの関係があるのかといえば、ない。ここでの接点は「速報事業」のみである。ただ、私の論考では、角田房子が犬丸秀雄本人から受け取ったという論文「学術行政の一環としての速報事業」(角田房子の著作21頁ではどこに掲載されたものなのかわからない)を特定して参照している。

潜水艦による輸送の状況はどうだったのか。私のファイルサーバにメモが残っているので、あまり大したものではないがここに公表しておく。ちなみにロリアンというのはドイツに占領されていたフランスの港である。

第二次大戦中の日本・同盟国間の潜水艦輸送路(メモ)
2005/2/12

1. 日本潜水艦5隻
・ 伊30 ペナン (1942/4/20) →ロリアン (1942/8/5) 同 (1942/8/22) →ペナン(1942/10/8)→シンガポール港外で触雷沈没 (1943/10/13) 積載物の多くは潜水作業で回収 [大海指第77号]
・ 伊29 ペナン (1943/4/5) → インド洋上 (1943/4/28) U-180に江見哲四郎中佐・友永英夫技術少佐を移乗させ、物資の交換 → ペナン (1943/5/13) [大海指第205号]
・ 伊8 呉 (1943/6/1) → ペナン経由 → ドイツ占領下のフランスBrest (1943/8/31) 同 (1943/10/5) → シンガポール (1943/12/5) → 呉 (1943/12/21) [大海指第232号]
・ 伊34 呉 (1943/9/13) → ペナン入港直前にイギリス軍潜水艦トラウスの攻撃を受けて沈没 (1943/11/11) [大海指第273号]
・ 伊29 呉 (1943/11/5) → シンガポール経由 → インド洋上 (1943/12/23) ドイツ油槽船より給油 → ロリアン (1944/3/11) 同 (1944/4/16) → シンガポール (1944/7/14着、1944/7/22発) → バシー海峡にてアメリカ軍潜水艦Sawfishの攻撃を受け沈没 (1944/7/26) [大海指第273号:伊34に続いて出発]
・ 伊52 呉 (1944/3/10) → シンガポール経由 → 8/1ロリアン到着予定のところ6/6ノルマンディ上陸作戦によって入港先の確保が問題となってU530と会合、6/24連合軍による航空機からの攻撃で沈没) [大海指第322号]

2. ドイツ潜水艦4隻
・ U511(さつき1号・呂500) ロリアン(1943/5/11)→ペナン経由→呉 (1943/8/7)
・ U1224(さつき2号・呂501)キール (1944/3/30)→5/13アメリカ駆逐艦により撃沈
・ U864 ベルゲン (1945/2/??) → 北海で撃沈 (1945/2/9)
・ U234 キール(1945/3/24)→1945/5/13アメリカ海軍に投降(同乗の日本海軍技術士官、友永英夫中佐、庄司元三中佐は艦内で自決)

3. イタリア潜水艦4隻
・ Luigi Torelli ボルドー (1943/8/16) →スマトラ島サパン経由→シンガポール (1943/8/30)
・ ほか3隻はすべて撃沈

参考:

http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi-zantei/sensi-igo1.html

日本海軍潜水艦史刊行会編『日本海軍潜水艦史』(1979)拓大図書館に貴重書として所蔵あり
吉村昭『深海の使者』文春文庫(1976)ノンフィクション小説
新延明、佐藤仁志『消えた潜水艦イ52』日本放送出版協会(1997)

このようなわけで、潜水艦による輸送は困難をきわめ、成果もあまりあがらなかった。中立国経由の国際郵便のほうが有効だったということである。

戦争が終わってアメリカからペニシリンが大量に輸入されるようになった。日本のペニシリン開発に関する資料は内藤記念くすり博物館に保存されている。

また、ペニシリン開発に関する最近の歴史研究では、

徳元琴代, 梅澤濱夫とペニシリンの開発について, 日本科学史学会第56回年会, 2009年.
徳元琴代, Jhon. C. Sheehan とペニシリン研究について, 日本科学史学会第55回年会, 2008年.

がある。というか、徳元さんがペニシリン開発について研究しているということくらいしか知らない。

「第三の男」のような事件が世界のどこかで起きたのかどうか知らないが、信頼できない医薬品の宣伝が迷惑メールやトラックバックスパムというかたちでどんどん送りつけられている。どんな経済的カラクリがあるのか気になるところではあるが、追跡するほど暇でもないので、ことごとく削除している。

つい最近のことである。2009年5月18日に、ドイツのミュージシャンNenaのファンサイトNenas Feuerwerkが閉鎖された。

Nena - 31 Juli 2004 - Berlin

Nena (写真は2004年7月31日ベルリン GNU FDL)とは、1980年代に西ベルリンで活動を始めたバンドであり、ヴォーカリストの名前(フルネームでは Nena Kerner)でもある。バンドで発表した作品にはNENAと、大文字斜体で表記されていた。バンドは1987年に解散したが、Nena Kerner 自身は1989年以降ソロ活動を続け、現在はハンブルクを本拠としている。バンドの最盛期には世界ツアーがおこなわれ、何度か来日してコンサートを開いている。ソロ活動ではバンド時代の歌も歌うが、新作も多い。また、童謡のCDも発表しており、ドイツの子どもにもおそらく人気が高い。かつてのように世界的なヒットはないものの、ドイツ語圏では確固とした地位を築いている。また、2008年5月27日には、ハンブルクにNeue Schule Hamburgという学校を開いた。

Nenas Feuerwerk は日本で発表されていない Nena の詞を翻訳して公開されているという貴重なサイトであった。最近はごぶさたしているが、サイトの管理人ともメールのやり取りもあって、勉強させられることは多かった。

さて、サイト閉鎖の理由について次のような説明がなされている。

閉鎖の理由は著作権です。
訳詞については作者Nenaの承認を得ておりましたが、著作権法の関係上、掲載できないことが分かりました。
また、編曲して掲載する際にも事前に作者の承諾が必要です(著作権法27条)。Nenaが日本で活動していない以上、継続的に承諾を得ていくのは難しいと判断しました。

そこで著作権法を読んでおきたい。

第27条  著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。

本件でいう著作者とは、いうまでもなくNena Kerner である。翻訳する権利は Nena Kerner にあることになる。

Nenas Feuerwerk のサイトでは、Nena から承認を得て翻訳をしていたのであるから、翻訳そのものが著作権法に抵触するとは考えにくい。日本語に翻訳された歌詞の著作権はといえば、著作権によって次のように定められている。基本的には訳者が著作権を有し、複製や頒布の権利を有するはずである。

第28条  二次的著作物の原著作物の著作者は、当該二次的著作物の利用に関し、この款に規定する権利で当該二次的著作物の著作者が有するものと同一の種類の権利を専有する。

ここまでのところ、問題は特にないように思われる。あるいは、Nena が翻訳を認めなくなるとか、Nena 以外の人が作詞した作品が含まれているなどの事情があったのかもしれない。いずれにしても不思議であるし、貴重な資源が失われてもったいないのである。管理者ご本人に事情をお聞きしたいと思う。

また、日本の著作権法とともに、ドイツの著作権法も参照すべきではないかという気がするが、気がかりなのはあの翻訳が原文との対訳だったためではないだろうか。日本語訳だけを掲載することについて問題はないはずである。

いずれにしても、あのサイトを再開してほしいというのが私の希望である。

話は変わるが、Nena が歌ってもっともヒットした 99 Luftballons (邦題「ロックバルーンは99」)に関する日本語版ウィキペディアの記事には、歌詞の大要(当該記事では「内容」と表現されているが、歌詞に直接かかわる記述があるのは日本語版のみである)が掲載されている。この「内容」は、2009年5月20日 (水) 15:00時点における版と2009年5月20日 (水) 16:43時点における版のあいだでかなり変わっているが、オリジナルの歌詞を知っていれば、簡単に歌詞だとわかる程度のものである。

Wikipedia contributors. ロックバルーンは99. Wikipedia, ; 2009 5月 20, 16:43 UTC [cited 2009年6月7日]. Available from: http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%AF99&oldid=25988082.

むしろこちらのほうが問題が大きいように思われる。

追記 日本における Nena のファンのメーリングリストもある。今のところアクティビティは低いが、ドイツやアメリカのメーリングリストがspamで使い物にならなくなったのとは対照的に、現在も生きている。