Archive for the ‘文学’ Category

スティーヴン・ダルドリー監督の愛を読むひと(原題 The Reader,小説の原題と映画のドイツ語版タイトルはDie Vorleser)が劇場公開されている.原作の小説も映画も未見なので,予告編でわかること以上のことは書けない.単純な恋愛映画ではなく,深刻な過去と向き合わなければならない人間を描いているようである.

ドイツの過去といえば,ナチス政権下の「国家反逆罪」 名誉回復へ新法 来月成立 左翼党、与党動かす(2009年7月4日)というニュース.国内ではほかに同様の記事が見つからなかった.

ナチス政権のもとで行われた裁判で,ヒトラー暗殺計画に加担したことによって有罪とされた人の中にディートリッヒ・ボンヘッファーがいた.1945年4月9日,ドイツ降伏の直前に処刑された神学者・牧師である.彼が直接の「実行犯」になるはずではなく,対外的な連絡活動などを担当したのであるが,組織の一員であったことは事実である.聖職者が暗殺というのは考えにくいことであるが,彼の倫理観では限界状況のもとで自ら罪を負ってでもヒトラーの独裁を放置することはできないのであった.

ボンヘッファーの名誉が回復されていない,つまり判決は現在でも有効であるという話は何年か前に聞いたことがある.これでようやく名誉回復となるのであろうか.

追記(2009年7月7日)
海外での報道記事.

APによって配信された記事,たとえば
Germany to overturn Nazi treason convictions
(1 Jan 2009) には,

In 1996, for example, Berlin justice officials formally exonerated the Rev. Dietrich Bonhoeffer, who was hanged in Bavaria in April 1945 for his role in plotting the attempted assassination of Hitler. The ruling also covered other resistance figures, including Adm. Wilhelm Canaris, who was sentenced and hanged with Bonhoeffer.

と書かれている.しかし,「本当か?」という気がする.

たしかに,After 50 Years, German Court Exonerates Anti-Hitler Pastor (16 Aug 1996) という記事はあるのだが,これが事実として a Berlin court とはベルリンのどの裁判所を指すのかはっきりせず,同じことを報じたドイツ語による記事が見あたらない.また,仮にこの記事に書かれていることが事実としても,ボンヘッファーの名誉回復がいまだなされておらず,その議論のために日本ボンヘッファー研究会がドイツからの訪問者とを迎えたいう話を聞いたのは2000年代に入ってからのことである.

ドイツ発の記事.Endlich fällt das ‘letzte Tabu’ bei der Aufarbeitung der NS-Geschichte (2 Jul 2009) はこの件に関する政党間の関係を,当事者である左翼党の立場で論じている.

もうひとつ,Will Germany Finally Rehabilitate Nazi-Era ‘Traitors’? (28 Jan 2009) は「ワルキューレ」に言及している.ボンヘッファーも「ワルキューレ」の関係者だったのである.

追記(2009年7月8日)
少しよく調べて,1996年のボンヘッファー名誉回復に関するドイツ語の報道記事を見つけた.Dietrich Bonhoeffer ist rehabilitiert (7 Aug 1996) によると,ベルリン地方裁判所による1945年の判決撤回という内容.

もうひとつ,Preußische Nachhilfe für Bayerns Justiz (8 Aug 1996) には次のような記述がある.

Das Urteil sei bereits durch das bayerische Gesetz Nr. 21 vom Mai 1946 aufgehoben gewesen.

すなわち,1945年の判決はバイエルンの裁判所(1946年5月の21号判決)ですでに取り消されているとも書かれている.

これ以上は公文書を調べないとわからないように思えてきた.

泳ぐ宇宙飛行士のつづき.

ガガーリンについては,とてつもなくよく調べている人がいる.「地球は青かった」という言葉についてはとくに丹念に調べられている.

日本人宇宙飛行士による有名な言葉として,秋山豊寛による有名な言葉があげられるのではないだろうか.TBSという民間放送局の社内で選抜されて宇宙飛行士となり,ソユーズTM-11でミール宇宙ステーションへ移乗して宇宙滞在,先にドッキングしていたソユーズTM-10で帰還.地球へのテレビ中継が始まって第一声が,

これ,本番ですか?

である.ジャーナリストらしく考えられたユーモアともとれるが,本心だったのかもしれない.彼はTBSを退職して農業を営むようになったが,宇宙飛行士としての自覚をもったまま地上で活動を続けているようにみえる.

この際なので,秋山豊寛が日本人初の宇宙飛行士であるかどうかということについて見解が分かれているようなので整理しておく.秋山豊寛は日本人として最初に宇宙飛行をしたが,それは宇宙船の「乗客」としてであって宇宙飛行士としてではないという見解について.彼は星の街で正規の宇宙飛行士 (космонавт) として正規の訓練コースを修了して宇宙船に搭乗したので,日本人初の宇宙飛行士ということに間違いはない.それよりも前に,宇宙開発事業団(現在は組織統合されてJAXA)の毛利衛向井千秋土井隆雄がNASAの宇宙飛行士(あるいはミッションスペシャリスト)の有資格者になってスペースシャトルに搭乗する予定であったが,チャレンジャー号の爆発事故によりスペースシャトル計画自体が大幅に遅れ,結果として最初に宇宙飛行をした日本人宇宙飛行士は秋山豊寛ということでおしまい.

それから,ガガーリンは地球を見ていないという説があるらしい件.このような回答をした人がいるので,それを支持する.

この流言のきっかけは、2000年3月にNHKが日本国内に放送したアメリカ製作のドキュメンタリーです。… ボストークには光学窓があるのでガガーリンは地球の蒼さが見えたでしょう。(回答者:abyssinian)

この番組は見ていないが,たしかに窓はあって地球を視覚でとらえることができたはずである.ガガーリンが「神はいなかった」と言ったとか言わなかったとかいう話に興味はないのだが,アポロ15号で創世記の石 (Genesis Rock) と呼ばれる鉱物を採集してきたジェームズ・アーウィンはキリスト教の聖職者になった.

前のエントリでNHKのドラマふたつのスピカのキャストが若いと書いたが,ふりかえってみればガガーリンが宇宙を飛んだとき,彼は27歳.訓練機による墜落事故で死亡したのは34歳のときである.若い.

「無限のかなたへ」(日本語吹き替え:所ジョージ)という台詞で有名なトイ・ストーリーのバズ・ライトイヤーには,モデルとなる人物が存在する.月面に立った二人目の地球人,バズ・オルドリンである(写真提供:NASA).
Buzz Aldrin on the Moon

オルドリンのウェブサイトにあるFAQでは,

Did Buzz Aldrin inspire the Disney character Buzz Lightyear?

という問いに対して明確に “Yes” と答えている.ともあれ,バズ・オルドリンとバズ・ライトイヤーは良好な関係にあるらしい.

バズ・ライトイヤーは「飛んでいない,落ちているだけだ」とウッディに言われたりしているが,自分のことをスペースレンジャーの一員だと信じていた.しかし,自分がおもちゃであることを知って落ち込む.しかし,なかなかどうして活躍し,独立したテレビシリーズスペース・レンジャー バズ・ライトイヤーの主役をつとめたり,国際宇宙ステーションへの飛行を実現したりしている.

ところでバズ・オルドリンは,アポロ11号の月面着陸によって世界的な注目を集めたが,あわせてうつ病,アルコール依存症,離婚という苦労を味わうこととなった(Robert Epstein, Buzz Aldrin: Down to Earth, Psychology Today, 2001.).今はそうしたことを乗り越えて幸せなのではないかという気がする.

前述のチャレンジャー号 (STS-51-L) 爆発事故は,順調であるかのように見える打ち上げからこの動画のように突然の爆発で,宇宙飛行士7名全員死亡という衝撃的なものであった.この事故などをきっかけに,アメリカの大学工学系学部で Engineering Ethics の授業がおこなわれるようになった.また,大江健三郎にとっておそらく初めてのSF小説治療塔(岩波書店,1990,講談社文庫,2008)にもこの事故に関する描写がある.

ちょっとだけ,日本人宇宙飛行士について「それから」ではなく「それまで」を見ておこう.山崎直子「宇宙戦艦ヤマト」のアニメに影響を受け,大きくなったら 「先生」や「ディズニーランドのお姉さん」になりたいと思っていたらしいが,「きっかけはチャレンジャー号の事故」とも書かれている.星出彰彦は,「銀河鉄道999 」,「宇宙戦艦ヤマト」,「スタートレック」などを見て宇宙にあこがれていたという.古川聡小さいころは「ウルトラセブン」になりたいと本気で思っていた(注:「あこがれはウルトラマン」という見出しは誤りである)とまでいう.野口聡一は,宇宙を舞台にしたアニメなどは見ていたが,それだけではまだ宇宙飛行士になりたいと思っておらず,高校生の時にスペースシャトルの初飛行を見て「これからは普通の技術者でも宇宙で活躍できる」と考えたそうである.オタクだらけのようにも見えるが,子どもが普通見ていそうなものを見ているだけだと思う.

私の生まれは福岡県北九州市小倉区(現在の小倉北区)である。JR小倉駅から西に向かってバスで20分程度のところで育った。ものすごくいい加減な地図であるが、九州における位置関係はだいたいこんなところである。念のためにいえば、小倉は「おぐら」とは読まず、「こくら」と読む。
おおざっぱな九州の地図

小倉出身の著名人として何人かあげておこう。個人としては、松本清張山本リンダ草刈正雄松本零士といったところだろうか。本当は東京出身だが、私と同じ小学校に在学していた土井隆雄宇宙飛行士もいる。架空の人物として「無法松」こと富島松五郎が知られている。法人として、ゼンリンTOTOはよく知られているであろう。

現在は福岡県北九州市であるが、廃藩置県直後において、小倉と門司は小倉県、八幡と戸畑と若松は福岡県に属した。当時の小倉県には、福澤諭吉の出身地である現在の大分県中津も含まれる。江戸時代の小倉は初代から三代まで細川氏が藩主であり、四代以降は小笠原氏である。幕末における長州征伐においては、関門海峡の向こうから長州を攻撃する江戸幕府の拠点となった。また明治から終戦までは陸軍の九州における重要拠点であり、森林太郎(鴎外)が小倉に赴任したり、(結局は長崎に投下された)原子爆弾の攻撃目標になったりもした。

小倉の周辺に目を向けると、日本近現代史においてよく知られているのは、八幡(「はちまん」とは読まない。かつては「やわた」と読まれていたこともあるようだが、現在の行政では「やはた」と読まれている。政治学者・政治家の舛添要一は福岡県立八幡=やはた=高等学校出身)で1901年創業の八幡製鉄所がある。同じ「鉄」でも、国鉄小倉工場(現在のJR九州小倉工場)、また架空の学校として映画「おっぱいバレー」の舞台となった戸畑第三中学校。この映画は実話をもとにしたストーリーだということだが、学校名は架空のものにするとしても本当に戸畑で起きた話なのかどうか不明であるし未見である。

福岡あるいは博多出身の人はあまりにも多いので省略する。上の地図に「大川市」とあるが、ここが「のだめカンタービレ」の野田恵(のだめ)の出身地である。アニメーションの第一シーズンは時折飛ばしてだいたい観たが、最終回で誰かさんが博多駅からタクシーで大川市へ向かうのは無謀である。博多駅の駅員に乗り継ぎの問い合わせをすればよかったのにと思う。

結論? そんなものはない。ただの自己紹介のようなものである。

工学部の学生だったころ、第三外国語としてロシア語を履修した。第二外国語はドイツ語で、初級程度は必修なのだが、第三外国語は完全な選択科目だった。

履修の動機は、図書館の書庫にあったキリル文字の雑誌が置かれた場所に立ったとき、文字さえ読むことができず、目の前にある膨大な情報にアクセスできないもどかしさを感じたからだった。

ロシア語を履修する学生は少なく、授業中に怠けることは不可能であった。担当は北九大の戸辺又方(とべ ゆうほう)教授で、教科書は先生自身による『1年生のロシア語 = Мы читаем и говорим по-русски』(白水社, 2000年)であった。履修した当時1年生ではなかったのだが、ロシア語を学ぶものとしては1年生である。出版年からみて私はこの教科書を使ってロシア語を学んだ最初の学生のひとりだと思われる。調べてみると、現在いくつもの大学のシラバスに教科書として指定されているようである。

最初の授業で印象に残っている言葉がある。「ソ連語という言語はありません」というものだった。当時はまだソビエト連邦が存在していたのだが、ソ連における公用語としてのロシア語であって、「ソ連語」という言語が存在するわけではないということである。たしかにそのとおりである。

文字を覚えるのに時間はかからなかった。ギリシャ文字との類似点が多いからである。ギリシャ語を習得していたわけではないが、数式を使うのにギリシャ文字を使うことが多いからである。大学院入試でドイツ語の問題に白紙回答をしたという益川敏英教授も、さすがに数式の中でギリシャ文字は使うであろう。

名詞の性や格変化はドイツ語である程度経験したことに改めて取り組むといった印象があった。苦労はしたが、むしろ楽しかった。

さて、習いたてのロシア語に関する知識を何に使ったか。最初はロシア語からの翻訳を楽に読めるようになったということである。トルストイやドストエフスキーのようなロシアの文豪の作品をかじろうとして、人名に翻弄されて挫折した高校生や大学生は多いのではないだろうか。ロシアではひとりの人物にファーストネーム、愛称、敬称とさまざまな呼び名があって場面により使い分けられるし、同じ家族でも男性と女性で語尾が異なる(固有名詞にも性がある)のだが、それがわかっていないとストーリーについていけない。

ロシア語をひととおり学んで最初に読んだのが、ワロンツォーワ著, 三橋重男訳『コワレフスカヤの生涯-孤独な愛に生きる女流数学者』(東京図書, 1975年)だった。ちょうど科学史や技術史に強い関心を抱くようになっていたころのことだった。

そしてソ連は崩壊した。勉強のためにモスクワで発行されている週刊誌を年間購読していたのだが、発行が一時的に止まって届かなくなった。購読料は前払いだったので少しやきもきしたが、やがて発行は再開された。雑誌そのものは廃棄してしまったが、ソ連崩壊を境に紙質が劣悪なものになったような記憶がある。

Солярис数年たって、アメリカからVHSのビデオをインターネットで購入するようになった。英語字幕のついたタルコフスキー監督の映画を何本も買い込んだ。そんなときに大江健三郎の小説『静かな生活』(講談社, 1990年)とめぐりあった。この中にタルコフスキーの「ストーカー (Сталкер)」をとりあげた章がある(念のために書いておくと、邦題は原作をそのままカタカナにした「ストーカー」であり、映画の中ではロシア語的に「スタルケル」と呼ばれているが、他人につきまとうストーカーとはまったく関係がない)。大江健三郎自身がモデルになっていると思われる、主人公の父親が、キリル文字で「Сталкер」と書いてみせる描写がある。大江健三郎はドストエフスキーを読むためにロシア語を学んだのだろうかと思った。この小説は伊丹十三監督によって映画化されているが、劇中劇を避けたためであろうか、この章は映像になっていない。

タルコフスキー監督の「惑星ソラリス (Солярис)」はアメリカで発売されたVHSのテープを持っていたが、ロシアでDVDが発売されるとすぐに取り寄せた。タルコフスキーも、原作者であるスタニスワフ・レムもこの映画はなかったことにしたいほどの作品だったようだが、少なくとも私は気に入っている。スティーブン・ソダーバーグ監督、ジョージ・クルーニー主演でリメイクされた「ソラリス」よりも見ごたえがあると思う。このDVDには多言語の字幕が付いているが、日本語字幕は過去のものと訳が少し異なっており、たとえば主人公クリスの親友ギバリャンは「物理学者」とされていたものが「生理学者」に訂正されていたりする。

それにしても、QWERTYと似ても似つかないロシア語のキーボード配列にはいまだに慣れておらず、たどたどしくタイピングしている。キートップに貼るシールも市販されているが、夏の暑さでべとべとになって、キーボードに触れること自体がひどく不快になるという経験をしてから、わからないときには横に置いた配列図を見てタイプするようにしている。

このブログを置いているサイトのドメインネーム dendrocacalia.org あるいは common.dendrocacalia.org というのはどういう意味なのか質問を受けることがあるので、ここに書いておきたい。

Kobo Abe, Beyond the Curve

Dendrocacalia というのはキク科ワダンノキ属の樹木、ワダンノキ (Dendrocacalia crepidifolia) に由来する。小笠原固有の植物であるが、東京の夢の島熱帯植物館で栽培されているものを見ることができる。絶滅危惧種の指定も受けている。

この植物を取り上げた安部公房の短編小説がある。高校生の頃に、新潮文庫の水中都市・デンドロカカリヤに収められたものを読み、登場人物の「コモン君」とともに、拝借したドメイン名である。なお、この小説の Juliet Winters Carpenter による英訳が、短編集 Beyond the Curve に収められ、講談社インターナショナルから1991年に出版されている。

小説「デンドロカカリヤ」はこの2009年春に完結した安部公房全集の、 第2巻と第3巻に収録されている。なぜふたつの巻に収められているのかといえば、雑誌『表現』版(1949年4月20日)と書肆ユリイカ版(1952年 12月31日)という異なる版が存在するためである。詳細な議論はこのエントリでは不要と考えるが、当時の安部公房がワダンノキを実際に見たのかどうかと いうことは少し気になる。どのようにしてこの植物の存在を知ったのか、今のところよくわからない。

安部公房の娘で医師のねりさんに無断で dendrocacalia.org というドメインを取得してしまったが、当時は連絡をとる術を知らず、高校生以来の愛読者として安部公房の名誉を傷つけることはしないということでお許しいただきたいと思う。