Archive for the ‘技術史’ Category

インターネット 歴史の一幕:JUNET の誕生(JPNIC ニュースレター No. 29,2005年3月)という記事で引用されている石田晴久の言葉である.

同氏はこの3月に亡くなられた.情報処理学会の機関誌「情報処理」7月号(Vol. 50, No. 7)で「『あの時代』に想いをはせて―証言者達からのメッセージ」という小特集が組まれているが,次のような追悼記事からなっている.

編集にあたって (中川晋一・川合慧)
そこにはいつも,先生の本がありました―出版を通じてのご貢献― (小山透)
情報化時代の幕開け―みんながコンピュータに熱中した時代からのメッセージ― (青山幹雄)
「情報処理」大変革の夜明け前―石田編集長の誕生に向けて― (諏訪基)
INET91,ISOC,INTEROP,IAJ―石田晴久先生とともに (高橋徹)
石田先生から受け継いだもの (砂原秀樹・村井純)

私は同氏と面識もないが,名前を知ったのは大学生の頃で,ブライアン・カーニハンとデニス・リッチーの著書の日本語訳『プログラミング言語 C』を読んだことによる.カーニハンとリッチーの頭文字から K&R と呼ばれる有名な本であるが,前にも書いたように最初は原書を読み,手元に置いてプログラミングをしたいと思い訳書を大学生協で購入した.Cに精通している訳者だけあって読みやすかった.同氏の著作や翻訳はたくさんあるが,専門書であっても読者を惹きつける魅力があった.

ところで,このエントリのタイトル「村井君。3つ以上つながってはじめてネットワークと言うのだよ」という JUNET に関する同氏の発言について,小特集の最後の記事「石田先生から受け継いだもの」にその真意が書かれている(p.658).

村井はJUNETにいろんな組織を参加させようと奔走していたのであるが,「東京大学がやっていないものは研究じゃないでしょ.そんな実験には参加できないよ」と言われて困っていたのだそうである.そんな話を聞きつけた石田先生が,「じゃあ村井君,東大をつなごう」とおっしゃられたのである.

このあたりの事情は,村井純『インターネット「宣言」―急膨張する超モンスターネットワーク』(講談社,1995)にも書かれているが,慶應と東工大の間を接続したところに東大も接続して JUNET が成立したというわけである.同書には初期の JUNET が電気通信事業法のうえで合法的なものかどうか郵政省から明確な回答が得られていなかったとも書かれているのだが,石田氏はそういった実験にも積極的に協力する人物であった.

ここで今になってお悔やみの言葉を述べても意味はないだろうが,同氏の著作は優れているので読んだことのない人にはおすすめしたい.

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前に書いた大学における学生のレポート・論文というエントリで,「プロの論文」とされているものを「論文ではない」という指摘をしたが,ではどんな論文が「プロの論文」といえるのか? ソフトウェア工学の分野におけるプロの論文を読んでみよう.

ここでとりあげる論文は,Craig Larman and Victor R. Basili, Iterative and Incremental Development: A Brief History, Computer, Vol. 36, No. 6, pp. 47-56, (June 2003) である.ここで pp. というのは p. の複数形で,複数ページにまたがる文献を特定するために用いられる記号である.卒業論文は単著が普通だが,この論文はソフトウェア開発の歴史に触れたもので,よく読まれている有益性の高いものであるからとりあげる(Agile Alliance のページから本文へのリンクがあるようだが,これを書いている時点で www2.umassd.edu へのアクセスができないため,図書館で読むか IEEE Computer Society のサイトで入手する必要がある).

論文やレポートは誰に読んでもらうのかを意識して書かなければならない.この論文が掲載された雑誌 Computer は IEEE Computer Society の会員はみな受け取るようになっているもので,広い範囲におよぶコンピュータの専門家が対象読者である.したがって,ある程度専門的ではあるがソフトウェア工学の専門家だけを対象として書かれているわけではなく,学術論文というより技術的な解説記事という性格が強い.

内容・構成は次のように,序論と時代別の本論,そして結論へと結びつくかたちとなっている.
(Introduction) — 何について論じるのかを明確にしている
PRE-1970
THE SEVENTIES
THE EIGHTIES
1990 TO THE PRESENT
(Conclusion) — 結論
References — 参考文献リスト

この論文では独自の視点でソフトウェア開発の歴史をとらえている.ソフトウェア開発の方法として反復型開発 (interactive and incremental development, IID) が単純にウォーターフォール開発に単純にとってかわるものではなく,実は初期のソフトウェア開発でとられていた方法であることを明らかにしている.そして,ウォーターフォール開発がアメリカ国防総省の標準化によって固定化され,それによって生じた行き詰まりを打開するために再び反復型開発が用いられるようになったというわけである.

10ページの論文において45の文献が参照されている.歴史的事実や論拠を明らかにするために必要なものが選びぬかれており,十分な調査にもとづくものであることがわかる.

なお,専門家が読むことを前提とした論文では参考文献リストに記す雑誌名を略記することがしばしばある.たとえば次のようなものである.対象読者が専門家でない場合にはこのように略記しないほうがよい.
Proceedings → Proc.
Journal of Systems and Software → J. Systems and Software
IBM Systems Journal → IBM Systems J.
Communications of the ACM → Comm. ACM
IEEE Transactions on Software Engineering → IEEE Trans. Software Eng.
ACM Software Engineering → ACM Software Eng.
IEEE Annals of the History of Computing → IEEE Ann. Hist. Comput.
情報処理学会論文誌 → 情処論
情報処理学会研究報告 → 情処技報
電子情報通信学会誌 → 信学誌
電子情報通信学会論文誌 → 信学論
電子情報通信学会技術研究報告 → 信学技報
電気学会誌 → 電学誌
電気学会論文誌 → 電学論

参考文献は多ければよいというものではなく,ましてや「こんなにたくさんの文献を読みました」と自慢するためのリストでもない.ただ,確かな議論を展開するために必要なものを使えばよいのである.ウィキペディアでも,論拠がはっきりしない記述に [要出典] のタグが付けられているのを見かけるが,それと同じことである.

最後に,英語で書いてあるから読めませんという声が聞こえそうなのだが,辞書があればそれほど難しい英語で書かれているわけではないので努力してほしい.ソフトウェア開発の現場でも,あることを調べようとしたときに英語の文献しか存在しないことは珍しくないのが実態である.

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キーマンズネットSHOOTIの IT 単語帳 ARPAnet の項目について、ツッコミを入れておく。

まず、「各地に分散したUNIXコンピュータ同士をTCP/IPで相互接続する」という部分について。RFC 2235 日本語訳の年表、1969年のところを見ると、ARPANETの最初のノードが記されているが、ここに接続されているコンピュータのOSはいずれもUNIXではない。というかUNIXは A Brief History of Hackerdom に書かれているように1969年に一応完成したもので、ARPANETのはじまりには間に合っていない。また、ARPANETでTCP/IPが使われるようになったのは1983年1月1日からのことである。TCP/IPに関する研究の成果が最初に発表されたのは1974年のIEEE Transactions on Communications Systems 誌上の論文で、標準として選ばれたのは1982年。したがって、ここは「各地に分散したコンピュータ同士を相互接続する」と訂正したい。

それから、「当時主流だった中央集中型ではなく分散型を選んだのは、核攻撃を受けても全体が停止することの無いコンピュータシステムを作るためだったといわれている」という部分については、俗説であると指摘されている。喜多千草, モバイルコンピューティングの技術史──「パケット無線」をキーワードに, Mobile Society Review 未来心理, No. 7, 2006, pp. 45-46. [PDF] などを参照。

追記 (June 24, 2009)
森石峰一による森石流!“たとえ”でわかる最新ネットワーク用語集におけるARPAnetの項目について。

これにはARPAnet の歴史的背景についての別の見解という別記事項があり、「インターネットの前身は ARPAnet で、これはアメリカ国防総省高等研究計画局が、核戦争でも生き残る通信網の構築を目指して敷設したものだ。」という説明について「別の見解」(杉沼浩司, インターネットの前身、ARPANETは耐核戦争用ではなかった!, New Media, 2002年11月号)があることをとりあげている。私の意見はおそらく「別の見解」に近いのであるが、3つの論拠からこれに対する反論がなされている。

最初の論拠について。

ARPAnet はアメリカ国防総省高等研究計画局が中心となって開発された、国防上重要なコンピュータ・ネットワークであること。たとえば、ポール・バランが発表した「分散型通信システムについて」という論文は、発表当時、アメリカ軍により極秘扱いにされ、一般人は閲覧することができませんでした。このことからも、 ARPAnet の重要性が分かります。

ポール・バランの論文は極秘でもなんでもなく、ソ連側からも閲覧可能だった(しかしあまり関心をもたれなかった)とポール・バラン自身が述べている。
参考文献 ポール・バラン (インタビュー) 聞き手: 藤原洋, パケット・スイッチングの発明者 ポール・バラン氏に聞く, オープンネットワーク, Vol. 2, No. 2, 1997, pp. 49-54.

二つ目、「異なる見解」が Vint Cerf 本人から得た回答にもとづくものであることに対して、次のような議論。

国防上重要なものであればなおさら目的を明かさずに進める可能性があります。したがって、これは推測ですが、TCP/IP を開発した1人であるビント・サーフ博士(当時 UCLA の大学院生)でも、アメリカ国防総省高等研究計画局内の ARPAnet について決裁権を持っている人の目的は、伝えられていないのではないかということです。

「これは推測です」ということなので、論拠にはならないと思われる。あえていえば、ARPAの研究部門 Information Processing Techniques Office (IPTO) の責任者であった J. C. R. Licklider らに関する詳細な調査にもとづいた著作(インターネットの思想史、草土社、2003、これは京都大学の博士論文の前半部分がベースとなっている)のある喜多千草も、ARPANET が軍事目的のネットワークであったということについては「俗説」と、否定的である(前掲のPDF)。

三つ目、ARPANETに関する海外のウェブサイトに「核攻撃」という言葉がいくつか見られるというもの。杉沼浩司が「この説明は日本だけのもの」としていることを意識しているものであろう。

ARPAnet の記述内に、核攻撃という言葉を見ることができます。これは、アメリカ国内でも ARPAnet が耐核戦争用に開発されたコンピュータ・ネットワークであることが認められていることのひとつの表れでしょう。

英文でも ARPANET について、核攻撃や核戦争との研究の関連についての記述ならばいくらでもある。ペンシルヴァニア大学のPh.D.論文をもとにした単行本を紹介しておく。
Janet Abbate, Inventing the Internet, MIT Press, 2000. (邦訳) 大森義行, 吉田晴代 (共訳), インターネットをつくる──柔らかな技術の社会史, 北海道大学図書刊行会, 2002.
この本で、特に1章「白熱と冷戦: パケット交換の起源と意義」では冷戦下でのパケット交換に関する研究について述べられているが、ARPANET が核戦争に耐えるためのネットワークであったという記述はない。

以上のとおり、件の用語集にある記述は想像の域を出ないものと考えられる。

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IEEE (電気電子学会)、正式には the Institute of Electrical and Electronics Engineers が毎月発行している The Institute という新聞がある。これは IEEE Spectrum という雑誌とともに IEEE 全会員に配布される。少し前まではタブロイド版だったと思うのだが、現在はタブロイドの半分より少し大きいくらいのサイズになっていて、コート紙にフルカラー印刷で、まるで雑誌のようである。しかし、紙を重ねて折ってあるだけなので雑誌ではなく新聞であろう。

The Institute June 2009The Institute の最新号 (Vol. 33, No. 2, June 2009) は、IEEE の創立125周年を記念する特集号のようになっている。

1面、Celebrating 125 years という大きな見出しが目を引き、Editor’s Note では、”Looking Back 125 Years”“Tracking Tech History” という二つの記事を紹介している。

“Looking Back 125 Years” (by Anna Bogdanowicz) は、IEEE の前身である the American Institute of Electrical Engineers (AIEE) と the Institute of Radio Engineers (IRE) というふたつの組織と、それが合併して IEEE が成立した過程について触れている。1884年5月13日に小さなグループとして発足した AIEE と、無線技術の発達にともなって成立した IRE の発展、そして双方の歴史的合併により、1963年この分野では世界最大の学会である IEEE が成立した経過が簡潔にまとめられている。

もうひとつの  “Tracking Tech History: A look at the evolution of three critical innovations” (by Michael J. Riezenman) は電気・電子関係の技術の歴史に関するより一般的な記事である。取り上げられている技術は携帯電話、薄型化が可能で集積回路に利用されるようになったプレーナ型トランジスタ、そしてインターネットである。

この新聞には見落としそうな記事も載っている。IEEE Conference on the History of  Technical Societies という、8月5日から7日までフィラデルフィアで開催される会合の案内である。

この会合は IEEE History Center が主催するものであるが、日本の関連学会、すなわち電子情報通信学会 (IEICE)電気学会 (IEEJ)計測自動制御学会 (SICE) もかかわっている。

The IEICE (The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers, Japan) is Banquet Underwriter. The IEEJ (The Institute of Electrical Engineers of Japan) and the SICE (The Society of Instrument and Communication Engineers, Japan) are Conference Supporters.

私はこの会合に出席する予定はない。

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Robert H. Zakon による Hobbes’ Internet Timeline を見たら、RFC 2235 (FYI 32) の日本語訳として Internet Archive のファイルにリンクされていた。私のサイトでディレクトリ構成を変更したときにロケーション不明となったのだと思う。

そこで、現在のロケーションと、ついでに PDF 版の所在をを知らせた。PDF 版はテキスト版を歌代和正の a2ps 1.45 で PostScript に変換して、Adobe Distiller で PDF にしたものである(元ファイルの名前が stdin になっているが、これは標準入力の意味)。

Hobbes’ Internet TimelineRFC 2235 (FYI 32) は、いずれも1957年のスプートニクの打ち上げから始まっている。1960年代についてはいくらかの改訂がなされている。

1997年に確定されたRFC/FYI 版では、1960年代前半について次のように記述されている。

1962
Paul Baran, RAND: “On Distributed Communications Networks”
- Packet-switching (PS) networks; no single outage point

1965
ARPA sponsors study on “cooperative network of time-sharing
computers”
- TX-2 at MIT Lincoln Lab and Q-32 at System Development
Corporation (Santa Monica, CA) are directly linked (without
packet switches)

改訂されたものは次のように修正と追加がおこなわれている。

1961
Leonard Kleinrock, MIT: “Information Flow in Large Communication Nets” (May 31)
* First paper on packet-switching (PS) theory

1962
J.C.R. Licklider & W. Clark, MIT: “On-Line Man Computer Communication” (August)
* Galactic Network concept encompassing distributed social interactions

1964
Paul Baran, RAND: “On Distributed Communications Networks
* Packet-switching networks; no single outage point

1965
ARPA sponsors study on “cooperative network of time-sharing computers”
* TX-2 at MIT Lincoln Lab and AN/FSQ-32 at System Development Corporation (Santa Monica, CA) are directly linked (without packet switches) via a dedicated 1200bps phone line; Digital Equipment Corporation (DEC) computer at ARPA later added to form “The Experimental Network”

これは2006年まで更新されているが、その後は追跡していないようにも見える。私のインターネットの歴史というページもしばらく更新していない。文献は増えるばかりである。

追記 (June 16, 2009)
この年表で、Paul Baran の “On Distributed Communications Networks” が1962年から1964年に変更されていることについて。
この報告書は1964年に発行されているので、1962年としていた RFC/FYI の記述から妥当な訂正がなされたともいえる。しかし Baran がこの研究に着手して、最初の報告書 On Distributed Communications Networks を書いたのは1962年のことであり、RFC/FYI 版の記述が誤りというわけではない。

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ここに、小室等のCDシングルがある。
ベラルーシの少女/雨のベラルーシ
作詞・作曲:小室等、訳詞:ニコライ・ドミトリエフ 山崎瞳、補訳詞:ORIGA(1996年にフォーライフよりリリース、頒布元は日本チェルノブイリ連帯基金)

JASRAC の作品データベースで調べると、

作品コード 027-8827-6 ベラルーシの少女(ロシア語訳詞)
権利者 識別 信託状況 所属団体
1 小室 等 作詞 全信託 JASRAC
2 ニコライ・ドミイトリエフ 訳詞 無信託
3 山崎 瞳 訳詞 無信託
4 小室 等 作曲 全信託 JASRAC
5 サンライズミュージック 出版者 全信託 JASRAC

ということで、補訳詞の ORIGA とはどこの誰さんなのかわからないままだが、この歌はもしかしてベラルーシ語で歌われているのではないかという長年の疑問は晴れてロシア語であることがはっきりした。

日本語の原詞はこのCDジャケット裏に印刷されているが、小室等はロシア語で歌っている。原詞に「五月のベラルーシ」というフレーズがたびたび出てくるのだが、なぜ五月なのだろうか。

このCDはチェルノブイリ原子力発電所4号炉の炉心溶融・爆発という大事故で被害を受けた子どものための寄付金込みで頒布された。事故が起きたのは1986年4月26日のことである。発電所はウクライナにあったが、ベラルーシやロシアなど近隣の地域は強い放射能によって汚染された。事態の収拾は容易ではなく、「五月のベラルーシ」というのは事故による被害の「急性期」を意味するのではないかと思う。

この事故の影響を受けてベラルーシからロシアに移住した夫婦がいた。Мария Юрьевна Шарапова (愛称 Маша)の両親であった。彼女が生まれたのは1987年4月19日、事故からおよそ1年がたったころのシベリアである(ベラルーシではなくロシア国籍なのはこのため)。最近の全仏オープンでは準々決勝敗退したが、その前の4月には国連開発計画を通じて彼女なりの貢献をする旨を発表している。

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別に宣伝するわけではないが、サントリーの金麦(いわゆる第三のビール)のCMの話。演じているのは壇れいである。

彼女自身がブログで告知していたように、2009年3月9日から放送された「丘の上から愛をこめて」篇(メイキング映像あり)では、手旗信号が使われている。手旗信号はおそらく初めての経験と思うが、上手である。

私としてはここで終わってしまうわけにはいかない。話を展開しよう。

手旗信号はヒトの体を動かすことによって文字を表現する、いわば簡素化された腕木通信である。腕木通信は人力で動かす装置であり、目視によって信号の伝達をおこなうものである。

手旗信号も、両手に持った手旗の動きで信号伝達をするという点では同じである。どのように信号伝達をするのかといえば、先に見た壇れいによる「ハルダゼ…」という文の送信を、手旗信号FLASH5というページで試してみて、前述のCMと比較すればよくわかるであろう。日本語の手旗信号は、基本的に受信側から見てカタカナの形に近い動作をするようになっている。

また、起信、応信などの信号はいわば制御信号で、簡単な通信規約(プロトコル)をそなえているともいえる。

腕木通信は手旗信号に比べると大がかりであるが、通信網すなわちネットワークを形成したというところが重要である。詳しいことは中野明による腕木通信って、ご存じですか?というページを読んでいただきたい。腕木通信は telegraph あるいは semaphore と呼ばれ、telegraph は後に電信を意味するようになった。また semaphore という言葉は、Edsger W. Dijkstra によってプログラミング用語となり、現在でも使われている(たとえば Perl には semctl、semget、semop というセマフォを扱う関数が実装されている)。

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先のエントリで、

日本で初めて大学における技術史教育に取り組んだ東工大の山崎俊雄名誉教授(故人)の蔵書の中に、『中井正一全集』全4巻, 美術出版社, 1964-1981年というものがあるのに気づいて考えをめぐらせた次第。

と書いた。

どこでその蔵書を見たのかというと、このエントリでとりあげる科学史技術史研究所 (the Institute for the History of Science and Technology in Tokyo) である。科学史技術史研究所は2009年5月9日に中野のビル内を拠点として設立されたばかりであり、秋にはNPO法人化の方向で準備が進められている。研究所には「田中・山崎・飯田・菊池・道家文庫」という別称もあり、田中実、山崎俊雄、飯田賢一、菊池俊彦、道家達将という科学史・技術史の研究者の蔵書を有する研究機関である。設立にあたっては、法人の社員を募ることや不動産の確保、資料や資材の搬入、設備を整えるための大工仕事にいたるまで、この研究所の理事長である東工大の木本忠昭名誉教授によるたいへんなはたらきがあったことは記しておかなければならない。

蔵書を通じてできることのひとつは、歴史家の仕事を研究することである。まずは目録を作成しなければならない。そのためにGBibWebは役立つはずなのであるが、開発が滞ったままである。そうこうしているうちに、PHPのバージョンは4から5になってしまった。これは多様な利用形態に応じてモジュールを組み合わせて使う、汎用の書誌情報データベースであり、このような研究所での利用にも適しているものを目指している。

私は理事ではないが、実務的な作業をする事務局を引き受けた。地道にやっていきたいと思う。

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Electrification of Russia, 1880-1926

English follows.

前期、火曜日の午後は東京学芸大学での授業があって火ゼミには出席できないのだが、2009年4~7月までの火ゼミの予定を読みなおしてみたら、

6月2日 Jonathan Coopersmith (Texas A&M University) “The Rise and Fall of Faxing: Lessons of Decline”

と書かれている。Jonathan Coopersmith さんとお会いしたのは1990年代の前半、私に直接連絡があって、火ゼミに招いて発表していただくように動いて、火ゼミが終わってから百年記念館で記念写真を撮影し、大岡山の居酒屋へ出かけて行ったような記憶がある。

今週の発表を聴くことはできなかったがファクシミリの歴史のようで、私としても関心のあるところ。以前はロシアの電化について研究書を出版されていた(表紙写真)。

Jonathan Coopersmith, The Electrification of Russia, 1880-1926, Cornell University Press, 1992.

書名にあるように、ロシアの十月革命前からネップ期あたりまでの技術史である。ここで詳しい書評をするつもりはないが、私としてはこの時代が電気工学の形成期でもあるということに着目したい。Charles P. Steinmetz が Lenin にロシアの電化に協力を申し出る手紙を出し、Lenin から謝意を込めた返書を受け取ったということが知られているが、もっと古い時代においては電気工学という体系的な科学は存在しなかったのである。

3月30日には、IEEE Student Branch at Tokyo Institute of Technology主催の講演も開かれていたようだ。

Electrification of Russia and Formation of Electrical Engineering

These days, I cannot attend Kazemi (Seminar on History of Science and Technology almost every Tuesday at Tokyo Institute of Technology) since my classes at Tokyo Gakugei University. I awared a topic in Kazemi schedule in April to July, 2009.

June 2, Jonathan Coopersmith (Texas A & M University) “The Rise and Fall of Faxing: Lessons of Decline”

I had met Prof. Jonathan Coopersmith in early 1990s. He contacted me directly and I arranged his session in Kazemi. After the session, taked pictures in the Centennial Hall, then we have a banquet at a pub in Ookayama.

I cannot attend the session in this week on history of the fax, but also interesting to me. He had previously published a book on the electrification of Russia.

Jonathan Coopersmith, The Electrification of Russia, 1880-1926, Cornell University Press, 1992.

As the book title, it is an history of technology before the October Revolution to the NEP, New Economy Plan, era. It is difficult to review in detail here, but I wish to focus on the time is the formative period of electrical engineering. As is well known, Charles P. Steinmetz wrote a letter to Lenin to offer assistance the electrification of Russia, and Lenin wrote a thanksful reply. At that time, electrical engineering was established based on complex number, however, electrical engineering as a systematic science does not exist in older age.

On the other hand, IEEE Student Branch at Tokyo Institute of Technology hosted a session on March 30.

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