キーマンズネットSHOOTIの IT 単語帳 ARPAnet の項目について、ツッコミを入れておく。

まず、「各地に分散したUNIXコンピュータ同士をTCP/IPで相互接続する」という部分について。RFC 2235 日本語訳の年表、1969年のところを見ると、ARPANETの最初のノードが記されているが、ここに接続されているコンピュータのOSはいずれもUNIXではない。というかUNIXは A Brief History of Hackerdom に書かれているように1969年に一応完成したもので、ARPANETのはじまりには間に合っていない。また、ARPANETでTCP/IPが使われるようになったのは1983年1月1日からのことである。TCP/IPに関する研究の成果が最初に発表されたのは1974年のIEEE Transactions on Communications Systems 誌上の論文で、標準として選ばれたのは1982年。したがって、ここは「各地に分散したコンピュータ同士を相互接続する」と訂正したい。

それから、「当時主流だった中央集中型ではなく分散型を選んだのは、核攻撃を受けても全体が停止することの無いコンピュータシステムを作るためだったといわれている」という部分については、俗説であると指摘されている。喜多千草, モバイルコンピューティングの技術史──「パケット無線」をキーワードに, Mobile Society Review 未来心理, No. 7, 2006, pp. 45-46. [PDF] などを参照。

追記 (June 24, 2009)
森石峰一による森石流!“たとえ”でわかる最新ネットワーク用語集におけるARPAnetの項目について。

これにはARPAnet の歴史的背景についての別の見解という別記事項があり、「インターネットの前身は ARPAnet で、これはアメリカ国防総省高等研究計画局が、核戦争でも生き残る通信網の構築を目指して敷設したものだ。」という説明について「別の見解」(杉沼浩司, インターネットの前身、ARPANETは耐核戦争用ではなかった!, New Media, 2002年11月号)があることをとりあげている。私の意見はおそらく「別の見解」に近いのであるが、3つの論拠からこれに対する反論がなされている。

最初の論拠について。

ARPAnet はアメリカ国防総省高等研究計画局が中心となって開発された、国防上重要なコンピュータ・ネットワークであること。たとえば、ポール・バランが発表した「分散型通信システムについて」という論文は、発表当時、アメリカ軍により極秘扱いにされ、一般人は閲覧することができませんでした。このことからも、 ARPAnet の重要性が分かります。

ポール・バランの論文は極秘でもなんでもなく、ソ連側からも閲覧可能だった(しかしあまり関心をもたれなかった)とポール・バラン自身が述べている。
参考文献 ポール・バラン (インタビュー) 聞き手: 藤原洋, パケット・スイッチングの発明者 ポール・バラン氏に聞く, オープンネットワーク, Vol. 2, No. 2, 1997, pp. 49-54.

二つ目、「異なる見解」が Vint Cerf 本人から得た回答にもとづくものであることに対して、次のような議論。

国防上重要なものであればなおさら目的を明かさずに進める可能性があります。したがって、これは推測ですが、TCP/IP を開発した1人であるビント・サーフ博士(当時 UCLA の大学院生)でも、アメリカ国防総省高等研究計画局内の ARPAnet について決裁権を持っている人の目的は、伝えられていないのではないかということです。

「これは推測です」ということなので、論拠にはならないと思われる。あえていえば、ARPAの研究部門 Information Processing Techniques Office (IPTO) の責任者であった J. C. R. Licklider らに関する詳細な調査にもとづいた著作(インターネットの思想史、草土社、2003、これは京都大学の博士論文の前半部分がベースとなっている)のある喜多千草も、ARPANET が軍事目的のネットワークであったということについては「俗説」と、否定的である(前掲のPDF)。

三つ目、ARPANETに関する海外のウェブサイトに「核攻撃」という言葉がいくつか見られるというもの。杉沼浩司が「この説明は日本だけのもの」としていることを意識しているものであろう。

ARPAnet の記述内に、核攻撃という言葉を見ることができます。これは、アメリカ国内でも ARPAnet が耐核戦争用に開発されたコンピュータ・ネットワークであることが認められていることのひとつの表れでしょう。

英文でも ARPANET について、核攻撃や核戦争との研究の関連についての記述ならばいくらでもある。ペンシルヴァニア大学のPh.D.論文をもとにした単行本を紹介しておく。
Janet Abbate, Inventing the Internet, MIT Press, 2000. (邦訳) 大森義行, 吉田晴代 (共訳), インターネットをつくる──柔らかな技術の社会史, 北海道大学図書刊行会, 2002.
この本で、特に1章「白熱と冷戦: パケット交換の起源と意義」では冷戦下でのパケット交換に関する研究について述べられているが、ARPANET が核戦争に耐えるためのネットワークであったという記述はない。

以上のとおり、件の用語集にある記述は想像の域を出ないものと考えられる。

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